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真のキリスト教 第二章 目次 
          
                                  

第二章 あがない主について


[Ⅰ] 宇宙の創造主であるエホバは、人をあがない救うため、この世に下って人間性をとられた (82~84)     

[Ⅱ] 神エホバは、神の真理としてこの世に下ってこられた。この真理こそ〈みことば〉で、神の善と分離できない方である
   (85~88)     

[Ⅲ] 神は、みずからの神聖な秩序にもとづいて、人間性をとられた (89~91)    

[Ⅳ] 神がこの世に来られるときとられた人間性こそ、神のおん子である (92~94)   

[Ⅴ] 主は、あがないのみわざを通して、みずからを、義 Justitiaとされた (95、96)   

[Ⅵ] 主は、そのみわざを通して、みずからをおん父に合体された。それは、おん父として、みずからをご自身に合体され
たことでもある (97~100)  

[Ⅶ] 神は、このようにして人となられた。それは、一人格の神人Deus Homo in una persona である (101~103)  

[Ⅷ] この一致合体に向かうことこそ、主の自己卑下であった。そして一致合体それ自身は、主の栄化の状態をあらわす
104~106

[Ⅸ] それ以降は、キリスト信者の場合、神であり救い主である主を信じ、[主だけに向かわ]ないかぎり、天界にはいれない (107、108)  

[Ⅹ] まとめ-主の到来以前と、それ以後の教会の状態について (109) 

 
あがないについて(115~133)  
                            
[Ⅰ] あがないそのものは、地獄を征服し、天界をととのえ、それによって、新しい霊的教会を準備することであった
(115~117)  

[Ⅱ] このあがないがなかったら、人はだれも救われないし、天使も完全無欠な状態に、とどまることができなかった
(118~120)  

[Ⅲ] 主はこのようにして、人間だけでなく、天使たちをも、あがなわれた (121、122)  

[Ⅳ] あがないは、純粋に、神のみわざであった (123)  

[Ⅴ] あがないは、そのものとして、神が人間として受肉されないかぎり、成立しなかった (124、125)  

[Ⅵ] 十字架の苦難は、主が最高の預言者として耐えられた、最後の試練であるとともに、主の人間性が栄化されるための手段であったが、あがないではなかった (126~131)  

[Ⅶ] 十字架の苦難があがないそのものであったとする考え方は、教会の土台をゆるがす誤りであった。それはまた、永遠のむかしから、神が三つの位格であるとする誤りといっしょになって、霊的なものは、名残りをとどめないほど、教会全体をゆがめてしまった (132~133)  

メモ (134~137)