真のキリスト教


〈新しい天界〉と〈新しい教会〉の信仰についての一般原理とその細目 


1節~3節



1・〈新しい天界〉と〈新しい教会〉の信仰

 まず最初に、信仰について、それぞれの細目をふくむ全体的な概要を述べておきます。それは、本論のまえの序文、神殿に入るまえの門、個々の章節にある事柄をかいつまんだ要約です。

 ここで、〈新しい天界〉と〈新しい教会〉の信仰といいましたが、それは、〈天使がいる天界〉と、〈人間がいる教会〉が、ちょうど人間の内部と外部のように、行動をひとつにしているということです。だから教会に属している人で、〈信仰の真理からくる愛の喜び〉と、〈愛の喜びから来る信仰の真理〉のうちにいる人は、その精神の内部では、天界の天使です。死後天界に行って、信仰と愛のつながりを通して、幸福を味わいます。それで現在、主によって創設された〈新しい天界〉では、これから述べるような信仰、つまりは序文・門・要約が、通用することを、知っておいていただきたいのです。


2・〈新しい天界〉と〈新しい教会〉の信仰についての一般原理

 エホバにましまし、永遠のむかしから主にましますお方が、この世に来られたのは、地獄を征服し、ご自身の人間性を栄化されるためでした。そうしなければ、人間はだれひとり救われません。ただし、主を信じれば、人は救われます。

(2) 一般原理といいましたが、それは信仰上の普遍原理のことです。またそれは、それぞれの細目と全体に、あまねく妥当する信仰原理のことです。

 信仰上の普遍原理というと、本質・人格ともに、ただおひとりの神には、三一性 Trinitas があり、それは主・神・救い主イエス・キリストであることです。主がこの世に来られなかったら、人間はだれひとり救われないということ、主がこの世に来られたのは、人間を地獄から解放するため、つまり地獄とたたかい、それにうち勝って、人間から地獄の力をひき離すためであったということです。このようにして地獄を征服し、秩序を回復し、ご自身に服従させられました。

 また、この世に来られたのは、世で身におびた人間性を栄化されるため、つまり、その本源である神性に合体なさるためであったわけです。これによって、地獄に秩序をもたらし、ご自身の配下におき、その状態を永久に確固となさいました。このことは、ご自身の人間性が、徹底的に試されることによって、実現されました。その試練の究極は、十字架上の苦しみでした。主はそれに耐えられました。以上が、主についての信仰上の普遍原理です。

(3) 人間の側から見た信仰上の普遍原理は、主を信じるということです。主を信じることによって、主につながり、そこに救いがあります。主を信じるとは、主が救ってくださることに、信頼をよせることです。人は、善良な生活をおくらないで、主に信頼をよせることはできません。だから主を信じるとは、善良な生活をすることでもあります。主もまた、ヨハネによる福音書で言っておられます、 

  「わたしの父のみ心は、子を見て信じる者が、ことごとく永遠のいのちを得ることである」 (ヨハネ6・40)。また、

  「み子を信じる者は、永遠のいのちをもつ。み子を信じない者は、いのちにあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる」(ヨハネ3・36)と。


3・〈新しい天界〉と〈新しい教会〉の信仰についての細目

 エホバなる神は、愛そのもので英知そのもの、善そのもので真理そのものにましまし、神としての真理からみて〈みことば〉です。〈みことば〉は、神のもとにある神です。世に下って人間性をとられました。それは天界にあるすべてのもの、地獄にあるすべてのもの、教会にあるすべてのものに、秩序を回復なさるためでした。当時、地獄の力は天界の力にまさり、地上では悪人の力が善人の力にまさって、あらゆるものの破滅にいたる危機が、目前に迫っていました。

 神エホバは、神の真理である〈ご自身の人間性〉をとおして、来るべきこの破滅 damnatio をみずから担い sustulit 、天使と人類をあがなわれました。こうして、ご自身の人間性のうちに、〈神の真理〉と〈神の善〉を、つまりは〈神の英知〉と〈神の愛〉を、ひとつになさいました。ということは、ご自身の人間性の栄化にともない、またその栄化をとおして、永遠のむかしからそうであった 〈みずからの神性〉に、もどられたのです。次のヨハネによる福音書が意味しているのは、そのことです、

  「〈みことば〉は神とともにあった。〈みことば〉は神であった。・・・そして〈みことば〉は肉体となった」(ヨハネ1・1~14)。また、 「わたしは、父から出てこの世に来たが、またこの世を去って、父のみもとに行く」(ヨハネ1628)。また、

  「さらに神の子がきて、真理を知る知力をわたしたちに授けてくださったことも知っている。そしてわたしたちは、真理のうちにおり、おん子イエス・キリストのうちにいる。このかたは真の神であり、永遠のいのちである」(ヨハネ5・20)。

 ここで分かることは、主がこの世に来られなかったら、救われる人はだれもいないということです。これは現在でもおなじです。主が〈みことば〉である〈神の真理〉として、この世に来られなかったら、救われる人は、だれもいないでしょう。



(2) 人間の側から見た信仰箇条は次のとおりです。

① 神はただおひとりで、そのなかに三一性があります。そしてその神は、主なる神・救い主イエス・キリストです。

② 人を救いにみちびく信仰とは、その主を信じることです。

③ 悪は、悪魔のもの、悪魔から来るものである以上、避けなくてはなりません。

④ 善は、神のもの、神から来るものである以上、行わなくてはなりません。

⑤ 以上は、人間が自分で自発的にやるつもりで実行しなくてはなりませんが、他方それを実行され るのは、人のなかで、人をとおしてなさる、主のみわざであることも、信じなくてはなりません。 以上のは、信仰にかんすること、は愛にかんすることです。は、愛と信仰のむすびつきで、結局は、主と人間とのむすびつきを示します。