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真のキリスト教

第二章 あがない主について

89節-91節

89・ [Ⅲ] 神は、みずからの神聖な秩序にもとづいて、人間性をとられた。

 神の全能と全知の項目で申しあげたように、神は創造と同時に、宇宙とその個々全体に、秩序をもたらされました。したがって、宇宙とその個々全体には、ご自身の秩序の法則にもとづいて、神の全能が発揮され、活動をつづけています。これについては、(49節から74節まで)順をおって説明しました。
 こうして神はこの世に下られました。しかも前述したように、神は秩序そのものですから、実際に人間になるとすれば、母親の胎にみごもって運ばれ、誕生し、教育をうけ、だんだんと知識をまし、その知識をとおして、理知と英知のうちに入っていくようになる以外はありません。そのため、人間性の面からみると、主は幼児のときは幼児のようであり、少年のときは少年のようであり、それ以後もそうでした。ちがう点はただ、ほかの人間よりずっと早く、しかも完全に、進歩と成長の道を全うされました。その進歩に順序があったということは、ルカが記しています。
  「少年イエスは、霊の面で成長し、強くなられた。・・・そして知恵も、年齢も、神と人からの寵愛もましていった」(ルカ2・40、52)。また他の人間より、それが早く完全に全うされていったことについては、同じ福音書記者が次のように言っていることからも明らかです。
  「少年は十二才になって、神殿で博士たちのまん中に座って教えられた。イエスの話を聞いていた者たちは、その理知と答えに驚嘆していた」(ルカ2・46、47、4・16~22、32)。
 このようにして、神の秩序のもとで、人間は神を受け入れることができるよう、準備されました。人は自分自身を準備するにおうじて、神はその人を受けいれ、ご自身の住まい、または家として、その人の中に入ってきてくださいます。神とか教会にある霊的なことがらについて、認識を深め、それにともなう理知と英知をとおして、準備ができてきます。というのも、人間は自力でやるようなつもりで、神に近づくほど、それだけ神は人間に近づかれ、その人のなかで、ご自身と人間とを結ばれます。主がこのような順序にしたがって、おん父と合体していかれたことについては、もっとくわしく次に述べるつもりです。

90・ 〈神の全能〉は、その秩序にもとづいて進展し、活動していくことを知らない場合、人は健全な理性に反するもの、幻想からくる矛盾など、いろいろの誤りにおちいります。神はどうして、このような成長過程をへないで、即座に人間性をおとりにならなかったのかとか、神はどうして、世界の四方位にある元素をとって、肉体を造り組立て、それをユダヤ民族のまえと、全世界の目前に、 「見える神人」の姿でお示しにならなかったのかとか、考えるでしょう。また誕生を希望されていたら、どうして胎児のとき、または幼児のときに、ご自身の神性をすべて注ぎこまれなかったのかとか、お生まれになったあと、どうしてご自身を大人の身長に、すぐひきあげられ、神の英知のもとで、お話しにならなかったのか、とか考えるかも知れません。
 神の全能について、秩序もなく考える人は、これと同じようなことを思いこんだり、言ってみたりして、教会のなかに幻想と錯覚をまき散らします。それは実際にあったことです。いったい、神はどのようにして、おん子を永遠からお産みになり、またご自身とおん子から、第三の神を発出させるようなことが、できたでしょう。どうして神が人類に怒りをおぼえ、人類の破滅を望まれながら、おん子をとおして慈悲をとりもどされ、それもおん子の十字架によるとりなしと、思い直しによるものだったでしょう。それだけでなく、人間にたいしてご自身のおん子の義をほどこすさい、ヴォルフが言っている単一実体 substantia simplex のように、人の心のなかに注ぎこむということです。それは、ヴォルフ自身によると、おん子の功徳のすべてが宿っており、分割できないもので、それが分割されたとすると、無に帰してしまうとのことです。
 そればかりか、だれでも望む者には、法王の回勅で罪がゆるせますし、極悪に染まった者も、その罪からきよめ、悪魔のような汚れ者も、光の天使のように清らかにすることができます。しかも人間は、そのあいだ、石のようにじっとしており、銅像か偶像のように、立っていればいいわけです。
 そのほかいろいろの狂った考えがありますが、神の全能を何の秩序もなく絶対であるとする人たちは、脱穀機がもみがらを空中にまきあげるように、考えが空中をさまよいます。天界とか教会だけでなく、永遠のいのちなどの霊的なことがらについて、神の真理からはずれている人たちは、森のなかにさまよう盲人です。石につまずいて倒れたり、木に頭をぶつけたり、枝に髪の毛をからませたりします。

91・ 神秘的な奇跡なども、神の秩序によって行われます。ただそれは、霊界がこの自然の世界にあたえる流入の秩序にもとづくものです。ただそれについては、今までだれも、何もわかっていません。霊界については、だれも何も知らないからです。それにはどんな秩序があるかについては、神の秩序と、そのフシギな奇跡について述べるとき、はっきりすると思います。