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真のキリスト教


第一章 創造の神について

宇宙の創造について


75節~80節


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75・ 第一章は「創造の神について」ですから、その神による「宇宙の創造」も、考えてみなくてはなりません。それは、次章で「あがない主」について学ぶと同時に、「あがない」について学ぶのとおなじです。ただしここで、ある種の普遍的な認識を前提とし、理解していることを感じとれるようにしなくては、だれも宇宙の創造についての正しい考え方を、身につけることはできません。その普遍的認識とは、次のようなものです。

(2)① 世界は二つあります。それは天使と霊がいる霊的世界と、人間がいる自然的世界です。
② その両方の世界に太陽があります。霊的世界の太陽は、〈エホバなる神〉から出る純粋の愛で、神はその太陽の中心におられます。その太陽からでてくる熱と光は、その発出する熱の本質は愛で、そこから発出する光の本質は英知です。この二つは人間の意志と理性に影響をあたえます。つまり熱は意志に、光は理性に影響を及ぼします。それにたいし、自然的世界の太陽は純粋の火で、その熱には命がありません。光も同じです。ただしこの二つは、霊的熱と霊的光が、人間にしみとおっていく加減を調節する役目をはたしています。

(3)③ 霊的世界の太陽から発する熱と光、それにこの熱と光によって霊の世界で存在するようになったあらゆるものは、「実体的なもの substantialia」で、これを「霊的なもの spiritualia」と呼んでいます。それにたいし、自然の世界の太陽から発出する熱と光、およびその熱と光によってこの世に存在するようになった万物は、「物質的なもの materialia 」で、「自然的なもの naturalia」と呼んでいます。

(4)④ 以上の世界双方に、「高さの段階」と言われる三つの段階があり、それによって三つの領域があります。天使のいる天界は、その領域にしたがって三層に区切られ、それにもとづいて人間の心も区分されていますが、それは天使的天界の三層に対応しています。その他同じようなことをあちこちで述べます。

(5)⑤ 〈霊的世界にあるもの〉と〈自然的世界にあるもの〉との間には相応 correspondentia があります。

(6)⑥ 両方の世界にある個々全体には、創造にあたって与えられた秩序が存在しています。

(7)⑦ この個々全体については、まったくの当初、それについての何かの観念 idea があったはずです。もしそれがなかったら、人間の精神は、それにかんしては、まったく無知だから、自然が宇宙を創造したという考えに、たやすく陥ってしまいます。そしてただ教会当局だけが、自然は神によって造られたと主張するにとどまります。
 しかしそれも、どんなふうに創造されたのか分からず、創造について、内心いろいろ考えているうちに、神を否定して、自然主義に落ちこむ傾向があります。
 ただし今のところ、以上の一つ一つを解明したり証明したりすることは、やってみるに越したことはないにしても、大へんなページ数になると思いますし、この種の組織神学書のなかに論題として挿入することは、適当ではないと思います。それでわたしは、ここにただメモを紹介するにとどめ、そこから神による宇宙の創造の考えをまとめ、そのまとめから、宇宙の創造を表明できる収穫がでてくるよう願っています。

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76・ 第一のメモ
ある日、わたしは宇宙の創造について、瞑想にふけっていました。わたしの左脇のうえの方で、ある天使たちがそれに気づいたのですが、それは、このテーマについて何回か瞑想して推理を働かせたところだったからです。それで、一人の天使がくだってきて、わたしを招いたので、わたしは霊の状態で、その天使について行きました。中に入ると、ある首長の家で、その庭に何百人もの人が集り、その中央に首長がいました。
ときに、その中の一人が言いました。
「わたしたちは、あなたが宇宙の創造について瞑想しておられるのが分かりましたが、実はわたしたちも、今まで何回となく、同じことを考えました。ところが結論がでないのです。それというのも、わたしたちの頭に混沌の考えがこびりついていて、それが何か大きなタマゴのようで、それが孵って、宇宙にある個々あらゆるものが、秩序だって生まれ出てきたと、考えてしまうのです。ところが今にして感じとれることは、こんな大きな宇宙が、孵化によって出てくるはずはないということです。
それからもう一つわたしたちの頭にこびりついていることは、神によって、万物は無から造られたということです。ところが今感じとれることは、無からは無しかでてこないことです。以上二つの問題については、まだわたしたちの考えには、それ以上の発展はなく、どんなふうにして創造が行われたかについて、何かの光に照らされ、見えるところまでいっていません。ということで、あなたのお考えを述べていただくため、あなたのおられたところから、お呼びしたわけです」と。

(2) それを聞いて、わたしは、「それでは説明させていただきましょう」と言ってから、次のように述べました、
「そのことについては、しばらく瞑想してみましたが、ムダでした。ところが主によって、あなた方の世界に導き入れられてから、二つの世界があって、一方には天使が住み、他方には人間が住んでいて、人間は死後、自分の世界から他の世界に移されることが、まず分かっていなくては、宇宙の創造について結論を出しても、ムダだと感じとれるようになったのです。

ここでまた、二つの太陽があるのを見ました。一つは、あらゆる種類の霊的なものがあふれ出てくる源で、もう一つは、あらゆる種類の自然的なものの源です。あらゆる霊的なものが出てくる源になっている太陽は、神エホバによる純粋愛で、その神は、太陽の中央にましまし、またあらゆる種類の自然的なものが出る源になっている太陽は、純粋の火です。
それが分かってから、あるとき照らされて、神エホバが中央にまします太陽をとおして、この宇宙をお造りになったことを、感じとることができました。そしてまた、愛は英知といっしょでなければ働きませんから、神エホバは、ご自身の愛を出発点として、ご自身の英知をとおして、この宇宙をお造りになったことに気づいたのです。わたしは、あなた方のいらっしゃる世界で目撃し、肉体上住んでいる世界で見た個々すべてにわたって、以上のことを証明しているのです。

(3) 創造が、その原初の状態から、どんなふうに進展していったかについては、多言を要しません。わたしが照らされたとき、はっきり分かったことは、あなた方の世界の太陽から出る光と熱を媒介として、霊的大気 atmosphaerae spirituales が造られたことです。その大気は、それ自身で実体として、順次造られていきました。それは三種類あり、三つの段階になっています。したがってここに三層の天界が生まれました。まず最高段階の愛と英知をもった天使たちの天界、それから第二の段階にいる天使たちの天界、それから最外部の段階 ultimus gradus にいる天使たちの天界です。

ところが、この霊的宇宙は、自然的宇宙がなかったら存在することができないのです。つまりその自然的宇宙のなかで、霊的宇宙は、自分なりの役立ちと効果をもたらすわけです。それで、あらゆる種類の自然的なものが出てくる源である太陽が造られ、同じくそれをとおして、つまりその光と熱を媒介として、芯を殻がつつみ、樹木を樹皮が覆うように、前者を取りかこむ三種の大気が造られました。この大気をとおして地球ができました。その地球には人間・動物・魚類・樹木・灌木・雑草・がありますが、それらは、土壌・石・鉱石から成る土をもとにしています。

(4) 以上が、創造とその進展についての概要です。その個々にわたって述べることは、何巻もの書き物によらなくてはできません。ただしこれまで述べたすべてから、次の結論を出すことはできます。

すなわち、神が宇宙を創造なさったのは、無からではないということです。前述したように、無からは、無しか出てきません。宇宙の創造は、天使のいる天界の太陽をとおしてなされました。そしてその太陽は、神みずからの存在を源としていて、英知をともなった純粋愛なのです。

霊的宇宙にしても、自然的宇宙にしても、その両者を意味する宇宙一般は、神の愛から、神の英知をとおして創造されました。それは宇宙にある個々ありとあらゆる物が、証明するところです。そしてあなた方も、秩序と関連のもとに、しかも理性的感知力が宿っている光のもとで、すべてを考えあわせてみるとき、はっきり見ることができます。

なお知っておくべきことですが、愛と英知は神にあってひとつになって働いていますが、抽象的な意味で言っている愛や英知ではなく、神にあっては、ひとつの実体です。なぜなら神は、みずから独一であるとともに、最初の実体であり本質であって、みずからのうちにましまし、存続する方だからです。

(5) 神の愛と神の英知によって、個々万物が造られたことは、ヨハネによる福音書にあります。 「〈みことば〉は神とともにあり、〈みことば〉は神であった。・・・すべてはかれによってできた。・・・世はかれによってできた」(ヨハネ1・1、3、10)と。

ここでの「神」は〈神の愛〉のこと、「みことば」は〈神の真理〉のこと、〈神の英知〉のことです。だから〈みことば〉は「光」と呼ばれ、神の光とは、〈神の英知〉のことになります」。 

こう言い終えてから、わたしは別れましたが、そのとき霊界の太陽の光が、天使のいる天界をとおって、かれらの目の中に、わずかばかり注がれ、その心の中に宿ったのでした。このようにして照らされ、かれらはわたしの言ったことに、賛成してくれました。そのあとわたしを玄関のホールまで見送ってくれました。それから、以前の案内人がわたしの家まで連れて来てくれ、その案内人は、自分の社会にのぼり、帰っていきました。

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77・ 第二のメモ、

ある朝、わたしは眠りからさめて、早朝の明るい光のもとで、はっきり目覚めるまで瞑想していました。すると、窓をとおしてピカピカッと閃光が目にはいったかと思うと、雷 の音が耳に入ってきました。これはどうしたことかとびっくりしていると、わたしからほど遠くないところで、神と自然について、激論が戦わされていると、天界から聞き知りました。その光の閃きは、稲光のようで、そのときの空気の震動は雷のようでしたが、これは相応によるものだそうです。神につく側と、自然につく側で、火花を散らした論戦の現れなのです。

このような霊の戦いの発端は次のようです。、地獄にサタンがいて互いに言いました、「われわれに天界の天使どもと話しあうのが許されればどうだろう。かれらは神をもち出して、万物ができたと言っているが、われわれは、それが自然だということを、完璧に証明してみせるぞ。自然のことを神と言っているわけで、そうでなければ、神なんて一つの単語でしかない」と。サタンたちはそれを、全心全霊で信じていて、天使たちと話したがっていたので、地獄の泥沼と暗闇からはいあがり、そのとき天界から下ってきた二人の天使と、話すチャンスが与えられたわけです。

(2) かれらは、天界と地獄の中間にある精霊界に行きました。サタンたちは、そこで天使たちを見るや、いそいで近より、荒々しい声でどなりました、
「あなた方は、天界からの天使さんたちですかな。神とか自然について、いろいろ議論することができるお相手でしょ。あなた方は、神をみとめるから、英知ある者と言われているが、まあ何と単純な。神を見た人がいるんですかい。神が何だか分かる人がいるんですかい。宇宙とそこにある個々万物をおさめているのが神だなんて、いったい、だれがそんなことが分かるんでしょうね。見えもしないし、分かりもしないものを認めるのは、教養のない民衆のやることですわ。

自然こそ、万物のなかの万事です。これくらい、はっきりしていることはないでしょう。目で見ているのは他でもない、自然ですよ。耳で聞いているのも自然の声ですよ。鼻でかいでいるのも自然のにおいですよ。舌で味わっているのも自然の味です。手や体で触れているのも自然じゃあないですか。われわれの肉体の感覚こそ、真理の承認じゃありませんか。そうじゃないと断言できる人がいるんですかね。
われわれの体も呼吸していますが、この呼吸だって証明しています。つまり呼吸しているのは、外でもない、自然ですよ。頭脳について言っても、われわれのものも、あなた方のも、自然のなかにあるんでしょう。だから自然からの流入が、頭のなかの考えに、浸透していると考えざるえません。自然がなかったら、いったい何を考えることができますかい」と。

(3) これを聞いて、天使たちは答えました、
「あなた方は、ただただ感覚的だから、そんなことを言われるのです。地獄の者はみんな、肉体の感覚のなかに、思考内容をどっぷり漬けて、心を高くあげることができないのです。だから仕方がないと思っています。悪い生活と偽りの信仰によって、あなた方の精神の内部は閉じてしまい、感覚的なこと以上に、心を上にあげることができないわけで、悪い生活と偽りの信仰から離れないかぎり、不可能です。サタンも天使とおなじように、真理を聞いて理解できるはずですが、その真理も悪によって消し去られ、偽りが入ってくるから、維持できません。しかしわたしたちは、あなた方が悪から離れた状態で、今話している真理を理解することができると知っています。だからこれから申しあげることを、注意して聞いてください」と。わたしたちは続けて、「あなた方も自然の世界にいたのに、そこから去って、今霊の世界にいます。あなた方は、以前は死後の命について、何かご存知でしたか。以前はそれを否定して、動物とおなじように生きてきたのではないでしょうか。以前、天界とか地獄について何かご存知だったでしょうか。この世の光と熱についてはどうですか。あなた方は、もう自然の中でなく、自然を越えていることについては、どうですか。この世界とここにある万物は、みんな霊的なものです。霊的なものは、自然的なものを越えています。しかも、あなた方がおられた自然の世界のものは、何ひとつこの霊の世界には、流れてこないのです。ところが、あなた方ときたら、自然を男神 deus であるとか女神 deaであるとか信じ、この霊界の光と熱は、自然の世界の光と熱であると、信じこんでおられますが、実際は、全然ちがいます。ここでは、自然の光は暗闇、自然の熱は寒冷なのです。
光や熱の源であるこの世界の太陽については、何かご存知でしょうか。ここでの太陽は純粋愛ですが、自然の世界の太陽は、純粋の火だということをご存知でしょうか。純粋の火としての太陽は、自然の存在と存続のみなもとです。純粋愛としての天界の太陽は、〈いのち〉そのもの、つまり、〈英知とひとつになっている愛〉が存在し存続するための源です。だから、あなた方が、男神とか女神とか思っておられる自然は、まったく死んだものなのです。

(4) あなた方も、守られていさえすれば、わたしたちといっしょに、天界にのぼっていくことができますし、わたしたちとて、守られていさえすれば、地獄にくだっていくことができます。それで、天界には壮大なもの、佳麗なものが見え、地獄には、醜悪なもの、不潔なものが見えます。このような違いは、どこからくるかというと、天界では、みんな神を礼拝しているのにたいし、地獄では、みな自然を礼拝していることです。天界にある壮大・佳麗なものは、〈善と真理への愛にもとづく情愛〉に対応し、地獄にある醜悪・不潔なものは、〈悪と偽りへの愛にもとづく情愛〉に対応しているのです。以上のことから今、万事において万事であられるのは、神か、自然か、結論を出してください」と。 それにたいして、サタンたちはこたえました、「現にあるわれわれの状態からすると、あなた方の話から、神であろうと、結論をくだすことができましょうが、悪のたのしみが、われわれの心を占めてくると、自然しか見えなくなるんですわ」と。

(5) わたしから遠くないところに、二人の天使と二人のサタンが立っていました。それでわたしはかれらの姿を見、その話を聞いたのですが、その回りには、自然の世界で学識者として著名な人が、たくさんいるのが見えました。そしてほんとうにびっくりしたことは、その学識者たちが天使のそばでなく、サタンのそばに立っていたことです。傍に立つのは、その味方を意味します。さらに耳にしたことですが、かれらが立つ場所が変わるのは、その心が変わることで、あるときは一方に、あるときは他方に味方し、季節神ウェルトゥムヌスを信じているようでした。
天使たちは言いました。
「あなたに、ひとつの奥義を申しあげましょう。わたしどもは、地上にいる著名な学者たちを見おろして分かったことは、千人中六百人までが自然を神とし、残りの者が神をそのまま認めているということです。ところが神をみとめている人も、理性からではなく、自然は神によって造られたと聞いているからだと言っていました。それがたとえ、自分の思考と理知から出たものではないとしても、たびたび思い出したり記憶したりしていると、信仰的パターンを生みだすものです」と。

(6) それからサタンたちは守られて、二人の天使といっしょに、天界にのぼっていき、壮大佳麗なものを目撃しました。そのとき、天界の光に照らされて、そこに神がましますこと、自然は神からくる命に仕えるために造られたことを認めました。しかも自然は、そのものとしては死んだもので、みずからは何もできず、〈いのち〉に動かされていることを知ったのです。

以上を目撃し感じとってから下っていきましたが、下っていくにつれ、悪への愛がもどってきて、理性の上層部が閉じるとともに、下層部が開き、その上に地獄の火の燃えひらめく影のようなものが見えてきました。かれらは、足が地面につくがはやいか、地が割れて、自分たちの仲間のいるところへ吸いこまれていきました。

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78・ 第三のメモ

翌日、天界の別の社会から一人の天使がやってきて、わたしにむかって言いました、「あなたは宇宙の創造について瞑想なさっていたそうですね。それで、わたしどもに近い社会に招待され、かれらの期待どおり創造について話されたので、とてもうれしかったとのことです。ところで、わたしは今、あらゆる種類の動物と植物が、どんなふうに神によって造られたか示してみようと思います」と。
その天使は、広大なみどりの草原にわたしを連れていって、「まわりをご覧なさい」と言ったので、わたしは周囲をぐるっと眺めまわしました。すると、色とりどりのうつくしいトリが目に入りました。飛んでいるトリ、樹の枝に止まっているトリ、バラの木から小さな葉をついばんで、草原をとびまわっているトリ、そのなかには、ハトと白鳥がいました。そのトリがわたしの視界から消えたあと、あまり遠くないところに、子ヒツジを連れたヒツジや、牝ヤギと子ヤギの群れが目に入り、その群れのまわりには、雄ウシと子ウシの群れ、ラクダにロバの群れがおり、樹木の茂みには、高い角を生やしたシカと一本角のシカがいました。
それを見たあと天使は、「東の方に顔を向けてごらんなさい」と言いました。わたしはそこに農園があって、果樹が生えているのを見ました。ミカンの木、レモンの木、オリーブの木、ブドウの木、イチジクの木、ザクロの木、小粒の実をしげらせる木があります。それから、「では南の方に目を向けてごらんなさい」と天使が言ったので、そちらを向くと、子ムギ、アワ、大ムギ、マメなど、いろいろの種類の穀物がなっている畑を見ましたが、その周囲には、いろいろにちがった色をした美しいバラの花壇があり、また北の方には、クリの木、シュロの木、ボダイ樹、スズカケの木、その他いろいろな広葉樹が生えていました。

(2) 以上を見たあと、天使は、「あなたがご覧になったものは全部、あなたの近くにいる天使たちの〈愛からくる情愛〉に対応しているのですよ」と言って、以上のおのおのが、どんな情愛に相応関係をもっているのか話してくれました。
「そればかりじゃありません。わたしたちの眼前に見えてくるその他のものも、それぞれに相応があります。家屋も、家具も、テーブルも、食料も、衣服も、金貨や銀貨も、また天界で妻や娘たちが飾りにつけるダイヤモンドや、宝石類もそうです。わたしたちは、あれやこれやを見ると、ひとりひとりがどんな愛と英知をもっているのかを感じとることができます。わたしたちの家のなかにある物、役にたつものなど、ずっとそこにありますが、社会を遍歴している者の目には、身のまわりのものが、移り変わって見えるのです。

(3) 以上は、一定の例をつかって、普遍的な意味における創造が何か分かっていただくために、示されたものです。実のところ神は、愛そのもの、英知そのもので、神の愛には限りない情愛がこもっており、神の英知には限りない感知力が備わっています。そして、地上に現れてくる個々万物は、その相応なのです。だからこそ、トリやケモノがおり、樹木や果樹があり、穀物とその実りがあり、牧草があり、雑草があるのです。
神には広がりはありませんが、広がりのどこにでも、臨在しておられます。だから、宇宙の最初のものから、最外の末端部までいらっしゃいます。神は遍在ですから、神の愛と英知は、自然の世界のすみずみにまで、その情愛に相応するものがあるのです。霊界と呼ばれるわたしたちの世界にも、神から情愛と感知力をいただいている者には、同じような相応があります。ただ違うところは、わたしたちの霊界では、天使たちの情愛にもとづいて、神によって、瞬時に創造が行われることです。しかしあなた方の世界では、最初の創造は、全く同じようでしたが、一から他への産出をとおして、永久に更新が行われ、このようにして創造が続いていくように、予定されていることです。

(4) わたしたちの世界では、創造は瞬間的で、あなた方の世界では、創造は、産出をとおして継続的です。そのわけは、わたしたちの世界の大気も土地も、霊的であるのにたいして、あなた方の世界の大気と土地は、自然的だからです。それに、自然的なものが造られたのは、霊的なものに衣服を着せるようなもので、それは人間や動物の皮膚とか、木の幹や枝をおおう樹皮、脳髄をおう皮膜、神経をつつむ膜、神経繊維をつつむ薄膜のようなものです。それで、あなた方の世界にあるものは、みんなずっと不断に存続し、毎年コンスタントに更新をつづけているわけです」と。それにつけ加えて、「あなたが見聞したことを、あなたの世界に住む人たちに伝えてください。かれらは霊界について、全く何も知らないからです。それが分からないなら、宇宙が神によって創造されたことや、その創造が、わたしたちの世界で依然続いており、あなた方の世界でも同じことが行われたことに、気がつかないし、想像もできないことでしょう」と。

(5) そのあと、わたしたちは、話しあいましたが、やがて地獄についても触れました。地獄は天界で目にしたようなものとは全く反対です。邪欲の愛からくる情愛は、天界の天使が宿している愛の情愛とは、対立しています。地獄にいる者は、たいてい砂漠に住んでいますが、目に入ってく夜のトリというと、コウモリ、ミミズク、それにオオカミ、ヒョウ、トラ、大ネズミ、ハツカネズミ、さらに各種の毒ヘビ、大蛇、ワニなどです。また草が生えているところには、イラクサ、イバラ、アザミ、その他の有毒植物がはえていて、それが茂ったり枯れたりしています。枯れたあとには、ごつごつした岩山とカエルが鳴く沼が現れます。
以上は、どれもこれも、相応 correspondentiae ですが、前述したように、邪欲の愛からくる情愛に対応しています。ただしこのようなものは、そのまま神によって造られたのではないし、似たものがあっても、自然の世界で造られたのでもありません。それは、神が創造されたもの、創造されるものは、みんな良いものであったし、現に良いものばかりだからです。このようなものが地上に姿を現したのは、地獄の出現と同時で、地獄は、神にそむいて、死後悪魔やサタンになりさがった人間からなっています。しかしながら、この種の悲惨な物語は、わたしたちの耳には痛いことでもあるので、そこから考えを切り離して、天界で見たものについて、思い起こしてみましょう。

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79・ 第四のメモ
ある日、わたしは宇宙の創造について考えていました。すると、当代まれに見る賢者として、第一級の著名人の中に数えられていたキリスト教界出身の人たちが近づいてきて、「あなたが創造について考えておられるのが分かりましたが、それについてのご意見をお聞かせねがいたい」と言いました。
しかしわたしは、「あなたがたのお考えをまずおっしゃってください」と答えたところ、その中のひとりが次のように言いました、「わたしの考えでは、創造は自然によるということです。自然はみずからを創造し、永遠のむかしからそうでした。真空状態 Vacuum などないし、ありえません。目で見ているもの、耳で聞いているもの、鼻で嗅いでいるもの、肺で呼吸しているものは、自然でなくていったい何でしょう。われわれの外にある自然は、またわれわれの内にもあるのです」と。
(2) それを聞いて、もう一人が言いました、「あなたは、「自然」と言っては、この自然を宇宙の創造者になさるとしても、この自然がどんなふうに宇宙を動かしてきたか、ご存じないでしょう。だから、申しあげます。自然は渦巻き状態で、雲のようにたがいにぶつかりあいます。それは地震で崩壊していく家並みのようでもあります。このような崩壊現象から、粗大な物体が流れて固まり一つになって、地球ができました。流動体はそれから分離して、また一つになり、海ができました。そこからまた、稀薄な物質が分離して、エーテルと空気ができ、そのなかで最も稀薄なものが、太陽になったのです。油と水と土片がひとつに混っていても、自然に分離し、秩序正しく別々の層ができるのを、あなたはご存じでしょう」と。

(3) それを聞いて、もう一人が口を開きました、
「あなた方は幻想的な話をなさる。だれでも知っていることですが、万物の始源は混沌 chaos で、それには巨大な広がりがあって、宇宙の第四の部分を満たしています。その中心は火で、そのまわりにエーテルがあり、さらにそのまわりは原物質 materia があって、これが混沌に裂け目をつくっているのです。だからこの裂け目から、エトナ火山とか、ベスビアス火山のように、火が吹き出しますが、こうして太陽は生まれたのです。そのあとエーテルが出て回りをとりまき、そこから大気が生まれ、最後に残りの原物質が、地球の形に固まって大地ができました。
星について言うと、宇宙の広がりのなかでの明かりですが、元来は太陽から、つまりその火と光から生まれ出たものです。太陽は最初、火の大海でしたが、それが地球を燃焼し尽くすことがないよう、光を放つ小さなほのおを放出し、それが回転の軌道を自分で固定することで、宇宙を完成させていきました。天空はそのようにして出来あがったのです。

(4) ここでまた、かれらの中の一人が立ちあがって言いました、
「そんなの間違いですよ。あなた方は、ご自分で賢者をつくろっています。わたしはあなた方の目には単純無学な人間に見えるでしょうが、わたしはこの単純さでもって、宇宙は神によって創造されたものと信じてきました。自然は、宇宙のなかの自然ですから、宇宙と自然は、同時に造られたのです。自然が自分自身を造ったとしたら、それは永遠のむかしからあったということでしょう。何とバカ気た話だろう」と。
そこで、それを聞いた賢者のひとりが、そのしゃべっている男の方へ、だんだん近づいていって、自分の左耳をその人の口にもっていきました。かれの右耳には、ワタか何かつめていたのです。そして何を言ったのか尋ねたところ、その男は同じことを繰り返しました。近づいていった方の者は、神父がいるかどうか回りを見まわしましたが、しゃべった男の脇に一人いたので、そこでかれは、
「わたしも、宇宙自然は、神によって創造されたと断言したいのですが・・・」と言いかけて、そこを離れ、自分の仲間のいるところで耳打ちしてから、「こう言ったのも、神父さんがここにおられるからですが、わたしもあなた方も、自然は自然から出たことを知っています。つまり自然こそ、神だから、わたしは宇宙自然は神によってなったと言ったのですよ。だけど・・・」
(5) そこでつぶやく連中の話を聞いた神父は次のように言いました、

「あなた方の知恵は、ただの哲学者のそれで、あざむかれているのですよ。それがもとで、心の内部が閉じてしまって、神からの光も、天界からの光も入らず、照らされることもないし、かえって光を消してしまっています」。そう言ってから、
「だからご自分で考えてから決めてください。あなたがたの不死の魂はどこからきたのですか。それは自然からですか。あの茫漠とした混沌といっしょだったのですか」と尋ねたところ、それを聞いて、先の男は自分の仲間のところへ行って、みんないっしょになって、この難問を解いてくれるように頼んだところ、かれらは、人間の魂はエーテルでしかなく、思考力は、太陽の光でエーテルが変質したものでしかない、しかもエーテルは、自然の一部だと結論をくだし、次のように言いました、
「われわれが話しているのは、空気によるものだと言うことを知らない人はいません。それで、思考なども、エーテルと言われている純粋な空気のなかで、話しているコトバなのです。だから思考とコトバは、ひとつです。これは、幼児のときから人間に備わっていることで、それに気づかない人はいません。幼児はまず、話すことを覚え、だんだん自分自身と話すようになりますが、これが思考です。だから思考は、エーテルが変質したもの、話しコトバは、その転位の一種でしかありません。ここから断言できることは、思考力をもった魂は、自然の一部であるということです」と。

(6) ところが、全然反対というわけではありませんが、問題点を明確にしようとして、次のように言った人も、そのなかにいます、
「エーテルがその茫漠とした混沌から分離して固まったとき、魂が生まれました。そのときエーテルは、きわめて高度の領域にあって、無数にわたって、個々の〈かたち〉をもったものに分かれ、それが人間に注ぎこまれたのです。それが魂と呼ばれるのは、さらに純化された空気をもとにして、考え始めるようになったからです」と。
これを聞いて、また別の者が言うには、
「そのとおり。高い領域にあって、エーテルがもとで、個々の〈かたち〉が無数にできあがったという点、賛成です。しかし、この世界が創造されて以来、生まれてきた人間の数は、それどころではありません。そのエーテルの〈かたち〉とやらは、どうやって補われてきたのですか。それで、わたしは考えたのです。人は死ぬとき、魂は人間の口から出ていって、何千年かたって、また人間のなかにもどって、前とおなじような生命をえて、生涯をすごすのではないかということです。多くの賢者たちも、こんなことや輪廻 metempsychosis とやらを、信じていたと言われていますね」。 それ以外にも、他の者がいろいろの思いつきを口にしていましたが、常軌を逸しているので省略します。

(7) しばらくたって、神父がもどってきました。そのとき、まえに宇宙の創造は神によると言っていた者が、魂についてみんながしゃべった結果を話しました。神父はそれを聞いて、かれらにむかって言いました、
「あなた方は、ご自分が今いるのは、かつての世界でなく、霊界と呼ばれている来世にいることをご存じないので、俗世で考えていたように、しゃべっているのですね。「自然」で心を固め、肉的感覚で考える人は、みんな自分が生まれ育った世界にいるとしか思いません。
俗世では、物質的肉体のうちにあったのにたいし、ここでは実体的肉体 corpus substantialeのうちにいるのですよ。
実体的な人間になっても、物質的人間がそうであったのと全く同じように、自分を見、自分のまわりに仲間を見ます。実体的なもの substantiale とは、物質的なものの始源 primitivum です。それであなた方は、自然の世界で経験したのと同じように、考えたり、見たり、嗅いだり、味わったり、話したりしていますから、この霊界でも、同じ自然界が存在していると思っておられます。ところがこの世界では、あの俗世での自然と全くちがった自然があって、それは物質的にたいして「実体的」、自然的にたいして「霊的」、後天的にたいして「先天的」ともいえるものです。あなた方が以前住んでおられた世界の自然は、それに比べると死んでいます。だからその自然を立てて、それを信じこんでしまうと、あなた方も死んだも同然です。神・天界・教会にかんすることや、あなた方の魂にかんすることでは、とくにそうです。
それにたいして、善人でも悪人でも、人はみんな、天界の天使が味わっている光に到達するまで、自分の理性を高められます。しかも神が存在し、死後に〈いのち〉があり、人の魂はエーテルではなく、俗世の自然からでもないこと、むしろ霊的なもので、永遠にまで生きるものであることが、分かります。自然的愛というものは、俗世から生れ、俗世と自然に味方し、肉体からきて、肉体とその我 proprium に味方するものです。その愛がとり除かれると、理性は、かの天使的光のうちに入ってくるのです」と。

(8) そうこうするうちに、主によって、そのような愛がとり除かれ、かれらは天使たちと語るチャンスが与えられました。話しているうちに、かれらは、神がましますこと、死後は別の世界で生き続けていることなどが、はっきりしてきました。かれらは恥ずかしくなって、「どうやら、頭がおかしかったらしい」と叫びました。しかしこのような心の状態は、かれらの固有のものではなかったため、何分かすると退屈になり、おもしろくなくなりました。それで神父から耳をそむけ、そんな話はもう聞きたくもないと、自然的・俗世的・肉体的な、もとの愛にもどっていきました。それから、左へ向かって、一つの社会から、もう一つの社会へと移り、自分たちの愛が心地よく感じられる道が見えてくると、「この道を行こう」と言って、その道にはいり、下っていきました。そして、同種の愛を心地よく感じている人たちのところへ来ると、また先へ進んでいきました。かれらが快感を覚えるのは、悪いことをする快感だったわけす。道々大勢の者に悪いことをして、投獄され、デモン化したのです。すると今までの快が、不快に変わりました。それは、かれらの本性になっていた以前からの快感が、罰やらその恐れやらで、ムリヤリ取り去られたからです。同じ獄にいる者にむかって、こんなところで永久に生きていくつもりか尋ねたところ、その中のある者が、次にように答えました、「わしらはここにもう何千年もいるし、これからも永久にここにいることになるさ。俗世で得た本性は変わらないし、罰をうけても同じさ。罰せられれば中断するが、やがて時がたてば、またもと通りだな」と。

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80・ 第五のメモ
ひとりのサタンが、あるとき許しをえて、地獄から一人の女性をつれて、わたしがいた家に近づいてきました。かれらの姿が見えたので、わたしは窓を閉めましたが、それでも窓越しに、かれらと話してみました。どこからやって来たのか尋ねると、自分たちの仲間のところから来たとのことです。
女性のほうに、どこから来たか尋ねたところ、同じように答えました。かの女は怪美人のグループにいたとのことです。セイレンとは、幻覚を起こさせて、いろいろに美しく飾った姿や形を身に帯びることに、長けている連中で、ヴィーナスの美をかたどったかと思うと、パルナッソスのように、口もとに愛らしさをただよわせ、ときには女王の冠とガウンで身を飾り、銀笏をついて荘厳に歩いてみたりします。霊界では、かの女たちは売春婦で、幻覚づくりに精をだしています。幻覚は、内部思考からくる概念をしめだして、感覚的な思考を操作することによって起こります。 わたしはサタンに、その女がかれの妻かどうか聞いてみました。するとかれが答えて、
「妻だって。そんなの知らないね。わしの社会にいる連中も知らんぞ、おれの女なんだ」と言いました。そのとき女は、男にみだらな欲望を起こさせました。セイレンはそれが得意です。サタンはその気を起こして、女にキスをし、「ああ、わがアドーニス」と言いました。

(2) まじめな話に移って、サタンにどんな役目をはたしているのか尋ねると、「わしの仕事は教育だ。わしの頭上に月桂樹があるのが分からんか」と言いました。これは、アドーニスが魔術でたきつけた幻想で、かの女は背後にいて、あやつっていました。それでわたしは、「あなたは、ちゃんとした教育が行われている社会から来られたでしょうから、あなたとあなたの仲間は、神について、何を信じているのか教えて下さい」と言ったところ、かれは言いました、
「わしらにとっては、宇宙が神だ。われわれは、それを「自然」とも呼んでおり、仲間に属する無学な連中は、「大気」とも呼んでいるが、大気はかれらにとっては空気のこと、賢者にとってはエーテルのことだ。神とか、天使とか、そんなものについて、この世では少なからぬ連中が、仰山に作りごとを言っているが、むなしい単語でしかない。神々や天使などは、大衆ショーみたいなもんだ。気象現象からあみだしたトリックだよ。
地上に現われてくる万象は、太陽の創造によるんだろうが、春がやってくると、いつも羽根があっても、なくても、ムシが生まれてくる。太陽の熱で、トリは愛しあって生殖活動をする。地熱があるからタネは温まって芽を出し、実をむすび、またタネを生む。だから宇宙は男神、自然は女神だ。自然は宇宙の妻となって妊娠し、生み、育て、みんなを養っていくんじゃないか」と。

(3) それでわたしは、かれやかれの社会にいる連中は、宗教について何を信じているのか聞くと、かれは答えて言いました、
「われわれは、一般庶民よりずっと教養があるから言うが、宗教は下層民にたいするだましごとでしかない。かれらの心に映ってくる映像や想像のまわりにはオーラがあって、その中で信心深そうな考えが、チョウのように空中をとびまわっている。かれらの信仰ときたら、そんな考えをクサリでしっかり結びつけたみたいだ。マユのなかのカイコのようだが、そのカイコが、チョウにかしずかれる王様然として、マユからとび出してくるんだな。教養のない奴らの願いは、飛んでみたいという欲望から、肉体からくる感覚像と、思考による感覚像をこえたイメージを、作りあげることだ。そうしてだね、自分で羽根をねつ造し、ワシになったつもりで、自分を高くもちあげ、地上にうごめく連中を見おろして、『このおれを見てくれ!』と言いたいわけさ。しかしわれわれは、見たものを信じ、触れたものを愛しているんだよ」と。
サタンは、女に触れて言いました、
「わしは、見て触れられるものを信じる。だが、つまらぬタワケは、われわれのガラス窓から投げすて、笑いとばしてやろうぜ」と。
(4) そのあと、かれが仲間たちといっしょに、天界や地獄について何を信じているか尋ねました。するとサタンは、かっかっと笑って答えました。
「天界というと、高いところにあるエーテルの天空のこと。天使というと、太陽のまわりを経めぐっている黒点のことでしょうが。大天使というと、長いしっぽをもった彗星のことで、そのしっぽにはかれらの群れが住んでいるんじゃないか。地獄というと、幻想の中でのカエルやワニが沼地にいて、それが悪魔だということだろう。天界とか地獄とかいうものは、今言ったこと以外はみんなオトギ話で、愚民から栄光を受けるため、ある司教が考えだしたことなんだ」と。
かれは、いろいろしゃべりましたが、俗世で自分が考えていたとおりのことでした。かれは自分
が死んだのちも、生きていることに気づかず、霊界に入ったとき、すぐ聞いたことも忘れてしまっていました。だから、死後のいのちについて聞かれると、それが想像の産物だと言ったり、人間の形をして埋められた死体から発散するものじゃないか、だれかが考え出した幽霊のこと、人間が勝手につくったまぼろしじゃないかと、言っています。
これを聞いて、わたしは笑いをこらえることが出来なくなり、言いました、
「サタン、狂いに狂ったのはどうしてでしょう。あなたは人間の〈かたち〉をし、話し、見、聞き、歩いているのでしょう。思い出してください。あなたはもう来世で暮らしているのです。あなたは死んだのちも、今こうして生きているのを忘れているのですか。なのに、すべて以前とおなじように話していますね」と。
かれに思い出がさずけられ、思い出しました。かれは顔をあからめて、「わしは気が狂っている。上には天界が見えたし、天使たちが口で言い表わせないことを話しているのが聞こえたんだ。ここに初めてやってきたときのことだった。おれが置いてきた仲間たちにも、言ってやらなくちゃ。みんなも同様、面目を失うだろうが」と。
かれは、みんなも狂っているんだ、と言いつづけていました。ところが下っていくにつれ、忘却が思い出を駆逐し、仲間のところに着いたら、以前同様に、気が狂っていました。そして、わたしから聞いたことこそ、狂っていると言いました。
以上は、死んだあとのサタンたちの考えであり、話しぶりです。偽りが高じて、信仰になるまで心をかたくなにしてしまった者を、「サタン Satanae」と言います。また悪が、自分の〈いのち〉にまで、しっかりと同化されてしまった者を「悪魔 Diaboli」と言います。

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