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真のキリスト教

第一章 創造の神について

 Divinum Esse にましますエホバ

25節-26節

25・ ここでメモをつけ加えておきます。

 ある日、眠りからさめて、神について深い瞑想に入りました。上を見あげると、天上に明るくきらめく卵形の光を見ました。その光に目をこらしていると、その光は両脇へしりぞいて、周辺に移りました。するとわたしの目に、天界がぱっとひらかれ、南側がひらいている円形の格好で、天使たちが立っていて、おたがいに話しあっていました。何を話しているのか聞いてみたいと、あこがれを抱いていたところ、最初に声色が聞こえましたが、それは天上の愛にみなぎっていました。そのあと話が聞こえましたが、それは〈愛から出る英知〉にあふれていました。
 かれらは、「唯一の神」とか、「神との結びつき」とか、「救い」について話していました。それは、口で言いあらわせないことで、その大部分は、どんな自然的言語の単語にもあてはまりません。ところが天界にあって、何回か天使たちとつきあっているうちに、同じような状態と、同じようなコトバの中で、かれらの話が分かるようになりました。それで、天使たちの話のいくつかを、自然の言語で、理性的に、単語をつかって、何とか表現してみようと思います。

(2) かれらは神存在は、〈唯一・同一・不可分そのもの〉であると言っていました。それを霊的概念で説明していましたが、神が多数にわかれ、そのおひとりおひとりが、神であることなど、不可能であると言っています。
 神は唯一 Unum 、同一 Idem 、それ自身としてある方 Ipsum、不可分な方 Individuum ですから、多数の神があって、それぞれの神が、みずからの存在をもとにして、個別的に、自分自分の考えをもつことは不可能です。
 たとえ多神がいて、それぞれ同意しても、同心同意の神が多数存在しているわけで、唯一の神にはなりません。同心同意とは、多数の同心同意ですから、各自が自分をもとにし、自分をとおして同意しても、唯一の神にはならず、複数の神ということになります。
 かれら天使たちは、「神々」を口にすることができなのです。思考のみなもとになっている天界の光とか、話しコトバをつつんでいるオーラが、それに反対するからです。かれらは、「神々」を口にし、そのおのおのが、みずから位格であると言いたくても、口からそれを発しようとする努力もくずれ、「唯一の方」、「唯一の神」になってしまいます。
 また、神は〈みずからのうちにある存在 Esse in se 〉であって、〈みずからに由来する存在 Esse a se 〉ではないと、つけ加えていました。というのは、〈みずからに由来する〉というと、先在する他者によって、みずから存在することになるからです。
 だから「神よりの神 Deus a Deo 」はありえないことになります。それは、神よりのものは、「神 Deus 」と言われるより、「神的なもの Divinum 」と呼ばれるはずだからです。したがって、「神よりの神」とか、「永遠のむかしから生まれた神よりの神」とか、「永遠のむかしから、神より、神をとおして、発出された神」といっても、天界からの光によって出てくるコトバではないから、何のことかわかりません。

(3) ということで、神的存在 Divinum Esse があるとすれば、それはみずからのうちにある神のことで、両者はおなじことです。それが、単純に同一である方 Idem simplex ではなく、無限に同一である方 Idem infinitum 、つまり永遠のむかしから、永遠にいたるまで同一の方であるとのことです。それは、どこでも同一の方、だれにとっても同一の方、だれのうちにあっても同一の方です。それにたいし、多様なもの、可変的なものはすべて、受けいれる側にあるわけで、受けいれる側の状態がそうさせます。
 神的存在は、「みずからのうちにある神 Deus in se 」のことで、「それみずからとしてある方 Ipsum 」であることを説明いたしましょう。
 神は、それみずからとしてある方です。というのは、〈愛そのもの〉、〈英知そのもの〉であるとともに、〈善そのもの〉、〈真理そのもの〉だからですが、そのため〈いのちそのもの〉でもあります。以上は、「神のうちにあって、それみずからとしてある方 Ipsum in Deo 」でなかったとしたら、「それみずからとしてある方 Ipsum 」に関係がないから、天界にもこの世にも、存在しないことになります。
 すべてのものは、「みずからの起源で存在する方 Ipsum ex quo est 」からその性格をうけており、その方にたいしては、それぞれの性格に応じて、関係をたもっています。「それみずからとしてある方」は、神的存在 Esse Divinum であって、場所に限定されず、しかも、各自の受け入れに応じて、場所に限定されているもののうちに、存在しています。
 というのは、愛と英知、善と真理、さらに〈いのち〉は、神のうちに、それみずからとして存在しており、神ご自身でもありますから、場所とか、場所から場所へとかわる移行では、説明できる方ではありません。ですから遍在 Omnipraessentia なのです。だから主は、「かれらのまん中にいます」とか、「主みずからは、かれらのなかに、またかれらは、主のうちにいる」と言われているのです。

(4) みずからのうちに存在する方がどんな方なのか、だれも把握することができないからこそ、その方が、本質上どんな方かが見えてきます。それは天使がいる天界にあって、上から出る英知の光であり、愛の熱です。〈主ご自身が太陽である〉といっているのではなく、神の愛と神の英知が、主ご自身のまわりを取り巻くようにして発出し、それが天使たちのまえで、太陽のように見えます。
 太陽の中にまします主ご自身は「人間」です。それは、源になっている神性 Divinum の面でも、神人性 Divinum Humanum の面でも、わたしたちの主イエス・キリストです。というのは、愛そのもの、知恵そのものにまします主ご自身こそ、ご自身にとっては、父よりの霊魂 Anima a Patre であるともに、みずからのうちに生命をもつ〈神のいのち〉だからです。
 ひとりひとりの人間の場合はちがいます。人間の霊魂には、〈いのち Vita ーVは大文字〉がありません。あるのは〈いのち Vita 〉をうける器です。主はそれを教えておられます。
 「わたしは道であり、真理であり、いのちである」(ヨハネ14・6)と。また、
 「父がご自分のうちにいのちをもっておられるように、子にもまた、自分のうちに、いのちをもつことをお許しになった」(ヨハネ5・26)と。
 〈ご自分のうちのいのち〉とは、神 Deus のことです。天使たちはさらにつけ加えて、以上のことから、神は唯一・同一・自存・不可分の方として、多数存在することはありえないし、もしそんなことがあれば、明らかに矛盾になること、そしてそれは、ある程度の霊的光があれば感じとれるものだと、言っていました。


26・ そう言ってから天使たちは、わたしの考えのなかに、神について、〈唯一性のなかでの三位格〉とか、〈三位格の唯一性〉とか、〈神のおん子が永遠のむかしから誕生される〉とかいった、キリスト教共通の観念があるのに気づき、
 「あなたはいったい何を考えているのです。自然的光はわたしたちの霊的光と同調しないというのに、自然の光で考えているのですね。そんな考え方をやめなければ、わたしたちは天界を閉じて、行ってしまいます」と言いました。しかし、そのときわたしは、
 「どうぞ、わたしの考えのなかに、ずっと深く入ってみてください。同調するところがあるのを多分お気づきでしょう」と言ったのです。
 かれらはわたしの思いのなかに入ってきました。そしてそこで、わたしが三つの位格ではなくて、創造・あがない・再生という神の三属性について考えているのに気づきました。この三つの属性は、おひとりの神のものでした。
 また、「神のみ子が永遠のむかしにお生まれになった」とは、「神ご自身が、永遠のむかしからご自分の誕生を予測され、一定の時間を予定しておられた」とわたしが考えていること、そしてなお、「永遠のむかしから、おん子は神より生まれたもう」と考えたとしたら、自然や理性を越えるばかりか、反することになるけれど、「乙女マリヤをとおし、一定のとき神から生まれたもうた方は、神のおんひとり子である」とすることは別で、それ以外の信じ方は、はなはだしい誤りになると考えていることも、見てとりました。
 さらにそのとき、わたしは三位一体説のことと、永遠のむかしから神のおん子がお生まれになったという考えは、アタナシオスの名をもった教会信条に由来すると言いましたが、天使たちはそれを聞いて、「よろしい」、と言い、さらに、
 「それにつづいて、天地の神ご自身に近づかないかぎり、天界には入れませんと、あなたから言ってください。というのは、天界は、ただおひとりの神からなっている天界なのです。しかもその神はイエス・キリストで、永遠のむかしから、主エホバとして創造者であられ、時間のなかでは、あがない主であり、永遠にいたるまでの再生者 Regenerator 、であられます。その方は、父・子・聖霊で、これこそ福音として、のべ伝えなくてはならないことですから」と言いました。
 それから、以前ぱっと目に入った天界の光は、徐々にしりぞいて下にくだり、わたしの精神の内部をみたし、神の三一性について、わたしの思いを照らしました。そのとき、当初考えていたような単に自然的な思いは、モミガラが風にあおられて、麦粒から分離されるように、天界の北へと吹きはらわれ、散っていきました。