TCR index


真のキリスト教


第四章 聖書・主の<みことば>

二.今まで、みことばの霊的意味については、知られていなかった。

208~235

208 209 210 2 214 215 216 217 218 219 220
221 222 223 224 225 226 227 228 229 230
231 232 233 234 235

*リンクのないところは、まだ入力中です。

208. [V] 主からくる純粋な真理のうちにある者を除いて、〈みことば〉の霊的意味が分かっている人は、まだいない。

 そのわけは、主による以外は、つまり主からの神的真理のうちにいる人を除いて、だれ一人、霊的意味を見ることができないからです。〈みことば〉の霊的意味とは、主お一人に関すること、主のみ国に関することで、主の天使たちは、天界でその霊的意味のうちにひたっており、主の神的真理もそこにあります。相応の知識を持っていながらも、人はその神的真理を蹴散らすことさえ可能ですが、それは〈みことば〉の霊的真理を、自分の理知でさぐろうとする場合です。つまり、みずからにとって周知の相応関係をもとにして、霊的意味をひっくりかえしたり、それを虚偽の証明に使ったりする場合です。こうして、神の真理に暴行を加えるわけですが、これは神の真理が宿っている天界への暴力行為でもあります。
 だから、ある人が主のみ力によらないで、自分の力で霊的意味をさぐろうとすると、天界は閉じられ、天界が閉じられれば、人は何の真理も見えなくなってしまうか、霊的に狂ってくるかします。そのわけは、主が各人を教えみちびかれるのは、〈みことば〉をとおして、つまり人間にそなわっている既知のことがらをとおしてなさるわけで、新しい認識をじかに注入されるというのではないのです。だから人が神の真理のうちにない場合、あるいは真理はわずかで、偽りを混在させているような場合、それをもとにして、真理をひん曲げてしまうことになります。これは、〈みことば〉の文字の意味にかんして、異端者がこぞってやったことです。それで、人が霊的意味の中に侵入し、その意味が持つ純粋の真理をひっくりかえってしまわないよう、主は〈みことば〉の中では、「ケルプ」と言っている守り手を置いておられます。

209.[VI] 霊的意味から理解する〈みことば〉のすばらしさ

 自然的世界では、霊的意味がはっきり見えてこないため、〈みことば〉からくるすばらしい出来事が起こりません。また、その霊的意味の内容についても、人間はその内面からとらえているわけではありません。ところが霊の世界では、〈みことば〉がもとで、すばらしい出来事が目に見えてきます。霊界では、そこにいる者みんなが霊的だからです。自然的事物が人を自然的にするように、霊的事物は人を霊的にします。〈みことば〉がもとで、霊の世界で起こってくるすばらしい出来事には、いろいろありますが、その中から、いくつかをここに記しておきます。
 〈みことば〉そのものは、神殿の至聖所にあり、天使たちの目には、巨大な星のようにかがやいています。あるときは太陽のようですが、あるときはその周囲にちりばめた星のまばたきのようで、美しさ極まりない虹に比べられます。至聖所をひらくと、まずこんなふうです。

(2) 〈みことば〉の真理ひとつひとつと全体が、ひかり輝いていることは、わたしには分かりました。それは、〈みことば〉からとられた一説を紙片に記して、それを空中に投げると、切りとられた形のまま、その紙が輝いて見えたからです。霊は〈みことば〉をとおして、まばゆく光る形をいろいろ作り出すことが出来ます。鳥や魚のかたちなども作れます。それからもっとすばらしい出来事は、ある人が顔・手・衣服などを、〈みことば〉を開いたままで、その〈みことば〉の文書に応用して動かすと、星のひかりにとりかこまれて立っているように、顔・手・衣服がかがやきます。これをわたしは何回も見て、おどろきました。モーセがシナイ山から、契約の石版をもって下りてきたとき、その顔が輝いていた理由が、わたしにはよく分かりました。

(3) そのほか、〈みことば〉がもとで、いろいろすばらしい出来事がありました。偽りのうちにいる者がいて、〈みことば〉に触れると、大音響をあげて爆発し、その人は部屋のすみっこへたたきつけられ、しばらくのあいだ死んだようになって横になっていました。
 また偽りの中にひたっている者が、〈みことば〉の中から何か紙に書いて、その紙を天に放りなげると、自分の目と天界とのあいだの空中で、おなじような爆発が起こり、紙はちりぢりになって消えていきます。それと同じことが、そばに立っている天使に向けて紙を放りなげtも起こります。わたしは、これを度重ねて目撃しました。

(4) それで、あやまった教義のうちにいる者は、〈みことば〉による天界との交流がないのを、わたしは理解できました。かれらが〈みことば〉を読むと、紙火薬が発火して、空中で散っていくように、途中で消えていってしまいます。〈みことば〉を元にして、主のみ力で正しい教義を持っている場合は、その反対です。かれらが〈みことば〉を読むと、天界にまで達し、天界にいる天使たちと結ばれます。天使たちも、何かの職責をはたすため、天界からくだってくると、小さな星にかこまれた姿であらわれますが、そのときも頭の周囲がきらめいています。それは、〈みことば〉からくる神の真理が、かれらのなかにある印です。

(5) 霊界では、そのほか、この地上と同じようなことが起こりますが、すべてそのひとつひとつが零滴起源をもっています。金や銀も存在し、各種の宝石があります。その霊的起源は、〈みことば〉の文字の意味です。
 『黙示録』には、新しいエルサレムの城壁の土台が、十二種の宝石でできていると記されています。その理由は、その「城壁の土台」とは、新しいエルサレムの教義にかんすることがらを、〈みことば〉の文字の意味で見た場合のことです。また、アロンのエポテには、ウリム、トンミムと呼ばれる十二種の宝石がありましたが、それをとおして、天界からの回答がよせられていました。
 そのほかにも、〈みことば〉をもとにした沢山のフシギな出来事がありますが、これらは〈みことば〉にある真理の力に関係があり、その力は計り知れません。たとえそれを記しても、信じてもらえないでしょう。その力は、山や丘陵をひっくり返し、それを遠くに移動させ、海中に投げ入れてしまうほどです。そのほかにも種々ありますが、つまりは、〈みことば〉に由来する主のみ力は、無限であるということです。