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真のキリスト教


第三章 聖霊と神のおん働き

三一の神について

163節



163
これまで、〈創造主である神〉および〈創造〉について述べ、そのあと、〈あがないの主〉および、〈あがない〉について述べ、それから最後に、〈聖霊とその神的活動〉について述べました。このように、三一の神について触れてきた以上、神の三一性 Divina Trinitas についても触れなくてはなりませんが、この三一性は、キリスト教世界には知られていながら、分かっていないのが現状です。これが分かって、初めて神について、正しく考えることができるようになります。
 神について正しい考えをもつことは、教会堂での至聖所、神殿での祭壇のようなものです。あるいは、玉座にある国王の冠、手にある笏です。それは、鎖が一番端にあるリンクにひっかかっているように、神学体系の全部は、ここにかかっているからです。しかも、その信じ方いかんによって、人はそれだけ、神についての考えで、天界での自分の場所がきまります。これは、金や銀を検出する試金石です。つまり人がどんな善や真理をもっているかを試すものです。なぜなら、人には、神に依拠しない救いの善、善の内奥部から引き出していない真理というものはないからです。神の三一性とはどんなものか、両方の眼でよく見られるよう、次のような項目に分けて、説明いたします。
[Ⅰ] 神の三一性 Divina trinitas とは、父・子・聖霊のことである。
[Ⅱ] 父・子・聖霊の三一性は、ひとりの神にある三つの本質的なもの tria essentialia で、それは人間の場合では、霊魂・肉体・活動のように、ひとつになっている。
[Ⅲ] この世が造られるまえには、この三一性はなかった。世界創造のあと、神が受肉されると同時に、神・あがない主・救い主である主イエス・キリストのうちに、その三一性が計画され、実現された。
[Ⅳ] 世界創造のまえ、しかも永遠のむかしからまします神の三人格説は、複数の神を考えており、口では唯一の神を告白していても、実体は三人格である点、変わらない。
[Ⅴ] 神の三人格説は、使徒の教会にはなかったが、ニケア公会議にはじまり、ローマ・カトリック教会に導入された。それからまた、分離した諸教会にも入っていった。
[Ⅵ] ニケア信条とアタナシオス信条にある三位一体論から生まれた信仰は、キリスト教会の全体をゆがめてしまった。
[Ⅶ] ダニエル書、四福音書、黙示録で主が預言されたこと、つまり、かつてなく、これからもないほどの憎々しい荒廃と艱難が起こったのは、そこからである。
[Ⅷ] だから、主によって新しい天界と新しい教会が起こされなかったら、肉という肉は助からない。
[Ⅸ] 各人格がそれぞれ神であるとするアタナシオス信条による三位一体論から、神について種々雑多な異端が出てきたが、これらは幻想であり、奇型である。
 以上をそれぞれについて、説明していきます。