こんばんわ。はじめまして、唐突にメールします。 翻訳者のひとりごとを拝見しました。

Augast 3.2003
「近くに、どこか新教会があるでしょうか」という質問をよく耳にする。教会と は、建物のことだと思っているらしい について。 

新エルサレムに来るひとは稀で書店で宗教コーナーを覗いて見るとほ とんど方は名だたる宗教に派手さに惹かれてはまり込んでゆきます。迷わずに新エ サレムにくる方は珍しいくらいでほとんどいません。

こんな表現をするとなんですが、新エルサレムにいきつくにはちょっとしたハズミ
か 曰く付な方々です。確かに 中には本物の宗教を探して迷わずに来る人もいることはいるのですが、後が続かず挫折してしまうのです。

え〜と、あと続きを書きたいのですが一言では申し上げにくし長くなるので簡単です がこの辺で止めます。 僭越ながらこれにして失礼します。 

??? 様
そのとおりだと思います。
入り口が狭いことはやむを得ません。
しかし、奥行きは、限りなく広くなっています。


Subject: Re: 翻訳者モノローグの意見 入り口は狭いのはそれはそうなんですが…。


謹んで新春のお慶びを申し上げます。入り口が狭いことはやむを得ません。

済みませんが返す言葉がなくなり年明けになりました。 あまりにストレートでし のでかたやつい感動してしまいました。私感で申し訳ありませんが狭き入り口は遙か 先にある(第2本関門)わけで、それは誰にも見えないのではないかと思います。

そ の狭き入り口こそ、ほんに狭い通り道でそれを越えると更なる門があり、それを叩くと 限りなく遠大な世界が光輝いていると推察してます。

しかし大方の人はこの新エルサ レムの本に出合え見つけて遭遇したことで、もうすでに狭き入り口に自分は入って 行ってると思ってるので小説代わりに読めばそれで自分は一端の教徒だと信じている わけです。

ところが狭き入り口は誰にも見えてないわけで、教徒だと誇張すればする 程、狭き入り口は幾ら本を読んでも悲しいかな見えてこない。「主、新しい教会へ招き たもう」なのですが恐らく誰も 見えざる狭い入り口があるとは思ってもいないのではないでしょうか。常々、他の人 達からは耳にするのは「天界に入るのは狭い入り口」と本の受け売りオウム返しだけ です。それでは今日、本屋で見付けて来たという人とあまり代わり映えしないのでは ないかと思います。ほとんどの方が第1関門で足踏み状態で躓いて挫折してます。
私 的にはほんに狭き入り口が見えてこそ、そこで新エルサレム教徒入門者と置いています。生意気なことを申し上げましたが第1関門は仮入り口に過ぎず、はっきり言って しまえば狭き入り口でもなんでもなく、ただ宣伝努力が欠乏して足らず、そこでは万人 が享受するのは構わないわけで主はあらゆる人を招いておられるので能動的に広く 大々的に何かに便乗して世間にアピールしてしらしめることが必要なわけです。

宣伝 をみて一般の人が大勢押し寄せてきてもいっこうに構わないわけです。本屋で本を見 て新エルサレムに来たからと言うだけで、それで主に導かれてきたなんてことは別に 寝ぼけても言いません。私的にはこう思いますが文が長くなるのでこの辺で止めま す。


東京では新エルサレムは萎んでしまいました。自滅です。静思社も途絶え、宗教法人日本新エルサレム教会も第1関門人種により沈没で廃墟化。東京新教会も分裂騒動中とのこと。ま、今にはじまったことではないでしょうが。

ご挨拶遅れましたが亡き 岡功氏親交がありましたもので、元宗教法人新エルサレム教会所属でした武内です。 無骨者ですが、ご迷惑でなかったらまた翻訳者モノローグの意見に投書レスポンスさ せていただきます。ただ文章は苦手なので拙筆で恐縮ですがご容赦ください。これ て失礼します。

>
武内さんへ(長島より)
 わたしが所属しているジェネラルチャーチのバス司教は、「ジェネラルチャーチは、新教会ではなく、新教会の理想を追求する団体です」とよく言っておられます。キリスト教の長い伝統と背景のある中でも、新教会の理想を追求する団体は少数です。日本では、まずここ100年くらいは、著作の勉強に力を注いだほうがいいでしょうね。そのあとの100年は、次世代である自分の家族に伝えていくこと、教会組織は、そのあとの100年あたりから、始めても遅くありません。


武内正人さんからのメール