長島達也・追悼の辞

ドン・ローズ牧師

2007118日(木)ブリンアシン大聖堂にて


 詩篇107篇には主のみ力について書かれています。

「主は嵐に働きかけて沈黙させられたので、波は静まった。彼らは波が静まったので、喜び祝い、望みの港に導かれて行った」(2930節)。

 主は導いておられます。

 主は人生の旅を導かれ、配慮されます。人が分かっている以上に導かれ、配慮されています。永遠で終わりのない旅です。主は約束されました。「(のち)の世では永遠の命を受ける」(マルコ10:30)と。

 人生はこの世で始まります。永遠の命に比べるとほんの短い間です。この短い間が非常に貴重なのです。自由に決断して、役立ちを達成していく上で、貴重な時間です。自分たちには全く予見出来ないようなことが、この世での人生には起こります。結婚するかもしれないし、子供・孫ができるかもしれません。

 子供や孫に語ることや、自分の経験から教えることは広く影響を及ぼします。それは、主が愛を吹き込み、愛は実を結ぶからです。「主はご自分の愛を吹き込まれます。・・・神の愛が出発となって隣人を愛するようになります。神の愛が働いて願望と可能性が生まれてきます」(真のキリスト教457)。

 今日わたしたちは長島達也氏について考えます。彼は主のお導きに確信を持っていました。「人間に導かれたのではなく、主が新教会に導いて下さったことを、固く信じています」(NCL(ニューチャーチ・ライフの略)1999年、158号)と信念をもって書いています。主から、真の宗教の教えを愛することを学び、多くの人が感動するような真理を広めることに、使命を感じた人でした。達也を敬愛していたピーター・バス司教は、このように言っています。「彼の翻訳によって、主の<みことば>が、何億もの人に通じるようになりました。自分の言語で主が語られることで、何千もの人が得られた利益が誰にわかるでしょうか」と。

 過去を振り返ると、その後の役立ちのための準備があったことがわかります。達也は11歳の時(*1)父親を亡くしました。それによって色々思い巡らし、求めるようになりました。

 達也は人生を振り返り、自分を海で泳いでいる人間として描いています。波は時に荒く、泳いでいるのはたった自分一人のようです。彼は、「共通することがある人が僅かしかいない荒海で、一人で泳いでいました」と書いています。泳いでいる人を想像してみます。それは「わたしの人生を案内する隠喩的な表現」としていました。

 その後、彼は一人ではなくなりました。純恵さんに出会って、結婚したからです。彼らは、共に人生の貴重な経験をしました。1987年に行われた、ジェネラル・チャーチ・アッセンブリーの際、長島夫人は新教会の洗礼を受けました。達也が新教会の宣教をする時、共に働いたキング司教が司式を務めました。(達也は1983年、ブリンアシンを最初に訪問した時に洗礼を受けていました。)洗礼をブリンアシンで行ったのは正解でした。1987年の訪問について、達也は次のように書いています。「第30回ジェネラル・アッセンブリーから帰ってきて、わたしと妻は、世界中各国から来た新教会の友達と、見たこと、聞いたこと、食したものその他について、よく語り合いました」(1987NCL p474)。

 彼の言葉は皆に向けられています。時としてせきたてられますが、反対に元気づけられます。彼は、「東の向こうから、太平洋の向こうから、ニューチャーチ・ライフの読者に一人の声を送ります。天界の教義を知りそれを行うなら、主はわたしたちを、世の中をも、思っているよりも短期間で変えるでしょう」(1992年、NCLp32)。

 今あるものの中にある幸運を感謝することを教わりました。彼は世界における新教会の世界的な姿を描いていました。

 世界全体を考え、特にある民族について考えました。今日、わたしたちは神の愛6を読みました。「主の前では、役立ちへの愛如何で、一人の人間として現れます。英国人は主の前で一人の人間として現れます。同じように、オランダ人、ドイツ人、スヴェーデン人、デンマーク人、フランス人、スペイ

ン人、ポーランド人、ロシア人等皆、一人の人間として現れます。それぞれの民族はその役立ち如何です。」

さて、達也が電車の中で、別の大陸に住む民族に注意を向けていることを想像してみてください。彼は、キング司教の8ページにも(わた)るガーナ訪問記を読んでいました。非常に熱心にこれを読んでいました。彼は、「わたしはこの8ページの報告を2回読みました。あまりに夢中だったので、電車を降りるのをうっかり忘れていました」(1988NCL554)。彼はガーナの人たちの特徴を考えました。そして、自国の人たちの特徴と比較して考えました。ガーナで起こっていることを読んだ時、動揺しました。彼は感嘆マークをつけて書きました、「今、風は吹く!」「われわれの司教は、『ガーナ以上に実りの多い場所を私は知らない』と言う。」彼は言いました、「敬愛するガーナに、新教会が速やかに、効果的に広がることを心から望み、祈らずにはいられません」(1988NCL554)。

彼は、ジェネラル・チャーチを、私たちとは違った観点から見ていました。欠点や、規模の小ささ、でっちあげの些細な弱点などに、私たちはよく気を回します。しかし、達也はジェネラルチャーチを選びました。新教会組織をより大きく描き、その組織の一員となったのです。次の所見を読んでほっとするかもしれません。「人類すべての霊的成長のために、数え切れないほどの宝が授けられています。将来的にも、そして今も。」

さらに、「どんな弱点があろうと、ジェネラルチャーチという組織の存在を神に感謝します。わたしたちの持っている優れた才能や性格は、主が生かされています。教会の組織は、教会員の可能な限りの自由と司教制度という、すばらしい組み合わせです。」

「人間の努力が、主の全宇宙的ご性格のための、小さくても必要な媒体であることを、新教会では誰も疑いません。・・・」「新教会は少しずつ、一日一日、目には見えないけれど、確実に成長しています」(1987NCL474)。

注目すべきは、聖なる著作が新しい啓示と知って即、彼が教会に所属しようとしたことです。「聖なる著作が啓示された真理とわかってすぐさま、一時も待てずにジェネラルチャーチに加わりました。それは、ジェネラルチャーチが神性のみことばの権威に全く従っているからです」(1997NCLp491)。

もちろん、彼が特に考えていたある民族というのは、自国日本です。変えられるのは、この国だからです。事実、新教会に関しては、日本の歴史的輸入の第一歩を踏む立場にありました。

1991年、「新教会の日本伝道」というタイトルで、記事を書きました。「世界のいたるところで劇的な違いを見てきました。神の許しと摂理により、様々なことが過去に起こり、様々なことが未来に起こります。・・・私の周りの限られた視野からも、目立った変化が今日見られます。特に、キング司教ご夫妻の訪問を機会に」(1991NCLp57)。

彼は、北アメリカのクリスチャンの数が、仏教徒に対して、1001の割合であるのにたいし、日本はその反対だとの所見を述べました。クリスチャンでない人の数が、そうである人の数を100対1で上回る。当人も最初は神道の家族に生まれ、その人生につらい変化(父の死)がなければ、そのまま神道でいたかも知れません。

先にも申し上げましたが、達也は11歳の時に、神道だった父親が突然亡くなりました。そして、キリスト教の教えで、父親が幸せな状態にいることを知りました(2001NCL249)。19歳の時、ラテン語を厳しく勉強するイエズス会に入ることを許可されました。7年後、独身からの解放を求めて、イエズス会を脱退しました。36歳のときプロテスタントにかわり、バプテスト教会の牧師となりました。52歳の時に新教会を見つけ、1983年、初めてブリンアシンを訪れたのです。

これを書いたとき、まず最初に、「善用されないことが起こることは、許されない」という教えに言及しています。「父の死がなければ、死後の命を考えなかっただろうし、イエズス会の誓約を交わさなければ、宗教の自由のために戦わなかっただろう。また、カトリックの信仰を捨てなければ、深いレベルで聖なる教典を勉強しようと思わなかっただろう。そして、古いキリスト教を去らなければ、著作からの、豊富な宗教の真理で補充されることはなかっただろう」(2001NCL251)。

そして自分は荒波を一人で泳いでいると想定しました。「自分がいかに真理を求める情熱に燃え上がっていたか、他の人たちもどれほど真理に飢えているか、また、天界の教義によって、その渇きが癒されるかを考える時、荒波を一人で泳ぐという表現が当てはまっていると思います」(2001NCLp252)。

翻訳の仕事について、達也は「自分の心に入って来たことのなかった真理」に驚いたと書いています(2002NCLp62)。1988年、彼は「自分は今真のキリスト教の7章目をラテン語から日本語に訳しています」(1988p211)と書いています。2001年、「わたしはニューチャーチ・ライフの読者の皆さんに、第一巻の完成を一緒に喜んでいただきたいと思います」(2001p254)と書いています。

さらに彼は「1950年のイエズス会の訓練に感謝しています。わたしは今、歴史上もっとも貴重な宝である天界の秘義を自国の言語に訳しています。挑戦的な長期プロジェクトのため、この世で人生最後のチャンスが与えられました。荒波を一人で泳ぐのは無駄ではなかったし、今だに無駄ではありません。毎日天界の秘義の新しい一節、一句がわたしをまごつかせ、恐れさせ、挑戦させ、元気付け、明らかにし、目覚めさせ、考えさせます。私の前にはまだ果てしなく広く、非常に豊かな海が広がっています」(2001p254)と書きました。

 「天界の秘義は、人類の歴史上最も価値のある本であることは疑えません。」「天界の秘義は、主から与えられたもっとも価値のある宝です。この先何十年、何世紀、何千年と生きていく地球の人間に授けられた、主からの永遠の贈り物です」(2004p149)。

「<みことば>の翻訳は神聖な仕事です。私の毎日の翻訳は、空にまだ星が散りばめられている早朝に始まります。主がアブラハムに約束されたことを思い出します」(2004p147)。

達也は伝道には葛藤がまだまだつづくと言っています。試練や誤り、苦痛から来る孤独感、絶望感やフラストレーションがあります。「やめなさい、価値のないことを考えるのは。」という叫びの声を聞きます。ダビデと共に泣きます、「主よ。どうしてこんなに大勢の人がわたしに逆らうのでしょう。どうして、こんなに大勢から命をつけ狙われるのですか。神様が私をお助けになるはずはないと、誰もが口をそろえて言います(詩篇3)。」しかし、彼は主の静かな声に耳を傾けます。「元気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(2002p66)。

「翻訳の時間は神聖だけれど、わたしの仕事は価値がないと、地獄の流入がささやきます。」「翻訳者がわからないような内容を、読者がわかるわけがないだろう。自分が再生していないのに、自分の仕事が他人の再生を助けるはずがないだろう?」わたしの応えは、「サタンよ、去れ!この仕事を続けさせてくれ。これはおまえやわたしの働きではなく、神様の仕事なのだから」(2004p147)。

この弔辞の中で日本語への翻訳に焦点をあてたのは、歴史的に重要で、その領域では(*2)例がなかったからです。彼について話すきっかけが生まれるでしょう。長島氏に会ったことのある人は、その温かさや知恵について語ります。ピーター・バス司教の次の言葉で締めくくりたいと思います。「役立ちの中で温かさや知的な精神を示し、それは人の心に触れました。この素晴らしい人、そして影ながら支援しつづけた才能溢れる夫人に知り合えたことは、本当に素晴らしいことでした。」

注目すべき人生を送り、今は目の前に広大に広がる海のような、新しい〈いのち〉に入った人に敬意を表します。アーメン。

*1・・・原文には「13歳」とありましたが、実際は「11歳」です。

*2・・・「その領域では」とは、「ラテン語からの翻訳では」という意味に通じます。

記念式典〈メモリアル・サービス〉を終えて

ダニエル・フロスト

メモリアル・サービスは118日、ブリンアシンのカテドラルで行われました。長島達也氏の日本での新教会の設立への努力を記念するためです。式はドン・ローズ牧師によって行われました。

パイプオルガンによる前奏は素晴らしく、感動的でした。ブリンアシンの聖歌隊も、特別なアレンジで歌ってくださいました。高尚なるジェネラル・チャーチの凡そ100人程度の出席者が、その晩彼に敬意を表しました。彼が望んでいた以上に、想像以上にすばらしいものだったと思います。

しかし、彼の業績や、彼の精神を的確につかんだのはドン・ローズ牧師による言葉でした。ドン・ローズ牧師は、長い間ニューチャーチ・ライフという小冊子の編集をしており、長島氏の提出していた論文から、色々と抜粋しました。また、以前の個人的な文通からの抜粋も披露しました。それはあたかも、長島氏故人が話しているような印象でした。

ドン・ローズ牧師が描いた長島氏は、「新教会はあらゆる教会の冠であり、ジェネラル・チャーチはこの世にそれを一番うまく定着化した」と、確信した人です。また、日本人に新教会の教義が役立てられるように、一人で努力してきたことも、うかがえました。とても個人的で感動的な横顔でした。

そのあと、長島夫人は英語でスピーチをし、皆が礼拝に来てくれたことを感謝しました。彼女は、「天界の秘義」はまだ校正中であることを指すとともに、日本の新教会を発展させるため、日本のユニークな文化を見て貰いたく、皆が日本を訪れてくれるよう願いました。

クライン司教の家で、その後レセプションがあり、参加者が皆招待されました。その際色々な人によるスピーチが行われました。クライン司教による日本訪問、エリック・サンドストローム牧師によるカトリック教義、わたしも徳島で行われた葬儀を報告しました。その他、長島氏との思い出を語る人はたくさんいました。

長島氏の歴史を顧みると、彼がそのような仕事をする運命にあったように思えます。ラテン語の学識、哲学の修士号、イエズス会の修練、真の意味での教会への深い愛が、新教会へと導いたことなど。摂理により、ジェネラル・チャーチの最高の人たちに出会えたこと。寒い1月の夜、皆で長島氏とその努力を称えました。 

感謝の言葉

長島純惠

  

  今日皆さんがこの式典に来てくださり、また、準備してくださったことを、深く感謝致します。

 ドン・ローズ牧師に感謝致します。牧師は1983年、亡夫達也に洗礼を授けました。

 日本に訪問された全ての牧師に感謝します。ヤンギー牧師、キング司教、アクトン司教、バス司教、そして、最近は、ジョン・ジン牧師が、達也の霊界入りの一ヶ月前に尋ねて来て下さいました。

 達也もわたしも一番感謝を申し上げたいのは、ジェネラル・チャーチと、出会いのあった素晴らしい人たちです。あなたがたのインスピレーションは本当にすばらしいものでした。

 達也は朝早く起きていました。3時に起きて机に向かっていることがよくありました。そして、新教会の考えを日本人に伝えるために、一生懸命働きました。

アルカナ出版は、その考えを広めるのに毎月ニューズレターを発行しています。ニューチャーチ・ライフから、説教、テープから、他の新教会の小冊子からなど。わたしの娘と義理の息子ダニエルが、この仕事を続けています。

 達也は天界の秘義を出版していました。一番大きな仕事です。アルカナ出版は、6巻までの出版に成功しましたが、達也は8巻まで翻訳し終えています。わたしは今、7巻の校正をしています。今年出版するためです。8巻は来年です。

 夫の存在、夫の才能なしに生きるのは寂しいですが、わたしたちは彼が始めたこの大きな仕事を終えなければなりません。それをどのようにするかを今考えています。

最後に、どうぞ日本に来てください。日本は世界的にも独特な文化を持った国です。アルカナ友の会のメンバーの皆さんはあなた方のインスピレーションとスフェアを必要としています。[皆さん、本当に有難うございました。](このフレーズのみ日本語)。

最後に、このスピーチを準備する手伝いをしてくれた義理の息子、ダニエルに感謝したいと思います。

わたしの英語がわかりやすかったことを望んでいます。     2007118