2006.12.24 ジェネラルチャーチ 

東京グループ 月例礼拝

於:青砥 シンフォニーヒルズ

長島達也氏を偲び、その復活を祝って

松本士郎 記

【朗読】「神の摂理」324 3,5

  (3)人問がみんな永遠に生きられるため、人間にある死すべきものは、とり去られます。死すべきものとは物質的肉体のことです。それは死ぬとき取りさられます。そして人間の不死の部分、すなわち精神は裸にされます。するとここに人間の〈かたち)をもった霊が生まれます。人の精神とはその霊のことです。

 人間の精神は死ぬことができません。古代の知者や賢者たちはそれが分かりました。かれらは英知を味わうことができる心すなわち精神がどうして死ぬことができるだろうと言います。現在死について、その内奥の意味を知っている人はわずかしかいません。その意味は、賢者たちが共通に感じとりましたが、それも天界からくるものでした。すなわち神は英知そのものであること、人間もそれにあずかっていること、神は不死で永遠に生きる方であることなどです。

 (5)死後永遠に生きるということは、〈みことば〉でもはっきりします。〈みことば〉には天界での生活は「永遠の生命」と言われています。あるいは単純に〈いのち〉と言われています。主は弟子たちに向かって言われました。

「わたしが生きるので、あなた方もまた生きるであろう」(ヨハネ4:19)

 また復活については、「神は、『生きたものの神であって、死んだ人たちの神ではない。』また、かれらはもう死ぬことはない」(ルカ20:36,38)

復活式・送別のことば

 長島先生、ありがとうございました。

 今、 先生は霊界でお目覚めになったころかと思います。そして、あなたが翻訳されたスヴェーデンボルイ著作に書いてあるとおり、より完全な霊の体を得て、広大で 表現しえない美しさを持つ霊界と天界を展望しておられることでしょう。また、天使たちに囲まれ、主のみ前に進み出てゆかれることと思います。そして翻訳で お悩みになった言葉の壁も、いまは全く苦にならず、霊界の言語を駆使されて、より主の真理を究められてゆくことと存じます。 

 先生は、13歳でカトリック教会に入信されて以来、ただ真理を求めて進んで来られました。そして幾百・幾千の困難があろうとも、それを乗り越えてこられました。“RARI NANTES IN GURGITE VASTO”荒い波の中で泳ぐ者はほとんどいない・・・先生がジェネラルチャーチの機関誌”New Church Life”の投稿で副題とされている言葉ですが、

 先生は、あえて荒波の中を進みいでられた方でした。その足跡をたどれば、私達に真の勇気とは何かを教え、励ましてくれます。 

 上智大学の哲学科・同大学院修士課程でラテン語を習得され、イエズス会にも属しながら、真理を学ばれましたが、そこでの教えに満足されず、退会されました。 バプテスト派に転向され、西南学院大学神学部で牧師の資格を得られ、牧師の活動をされるとともに、米国のマサチュセッツ州ボストン郊外にある超教派のアンドーバーニュートン神学校にても研究を続けられ、ここでも修士号を取得されました。しかし、教義への疑問は解決されません。

 しかし、主の摂理、お導きは、ついに真理の宝箱を、先生の前に開かれました。東京代々木で日本語教師養成学校を経営されていた1981年に、スヴェーデンボルイの著作に出会われたのです。数年後には、米国ペンシルバニア州に本部をもつジェネラル・チャーチ General Church of the New Jerusalem を訪問し、洗礼を受け、日本人では最初の会員になられました。 

 先生は先に述べたように、牧師の資格をお持ちでした。しかしそれ以来、一般信徒としての姿勢を崩されず、ジェネラルチャーチの神学校の通信教育課程を学び終 え、ラテン語では、同神学校の教職になってもおかしくないほどのお力を持ちながらも、決してご自分は新教会の牧師として活動されようとはなされませんでした。そして、アルカナ出版を経営されながら、いよいよスヴェーデンボルイの著作のラテン語原文からの日本語訳に取り組まれます。ご存じのように、同著作は 柳瀬芳意牧師が、ほぼ全著作を英語から日本語に翻訳されています。長島先生の翻訳は、「天界と地獄」クラスのすべてを翻訳され、いよいよ人類の宝ともいえる「天界の秘義」に取り組み始められます。誠に残念なことに「天界の秘義」は前半、創世記部分で志半ばとなりましたが、深い教義の研究の上に、よく咀嚼されたもので、読み手の心に響く翻訳であり、私たちにとっては、かけがえのない翻訳でした。長島先生の翻訳に出会って、はじめて天界の教えが、身近になられた方は数多いと信じております。

 教会関係活動としては、ジェネラルチャーチ司教をはじめ、各牧師方を日本にお招きいただき、日本における新しい新教会の流れの基を築かれました。各聖職者の説教やお話を正確にすばやく日本語に通訳していただきましたが、それは誠に名人芸でした。外への活動は新教会活動を幹として、パナリンガ学院や、四国大学教授を努めながら、はじめられた「NCインタープリターズ」と枝も多岐に分かれました。しかし、その幹はあくまで、「新教会を日本に根付かせる」というものでした。数多い活動の中、長島先生の志は常にここにありました。

  世の財産や目先の利益には目もくれず、先生は真理の探究と、その普及に文字通り命をかけれました。その活動を支えておられたのは、純恵夫人に他なりません。 翻訳の校正やオルガン演奏等、先生にとって、まさにかけがえのない夫人の力添えがなければ、これらの素晴らしい業績を見ることができなかったのは明らかです。文字通り、世界中で活躍されている三人の娘さんたちを育てられました。 

 長島先生の真摯な生き方は、私達の模範です。そのご自分に厳しい姿勢は、ウエブ等で拝読させていただき、かくあらねばという思いを募らせます。ただ、そのご 自分に厳しい姿勢は、時として人にも厳しさを感じさせることがありました。先生に三年間近く、翻訳の通信教育をしていただきましたが、時にその厳しさにうんざりしたこともありました。またジェネラルチャーチ東京グループを創設する際に、後見的な立場で参画していただきましたが、そこでの厳しさにも、何もそこまで・・・と思ったことも何度かありました。

しかし、この厳しさは、真理に対する自己への厳しさの裏返しともいえるものです。次女の峰子さんが六カ月間の闘病生活を記されていますが、病床でのご自分に 対する厳しさが、あふれ出ています。おそらく、再生のための試練にとことん会われたのでしょう。奥様と峰子さんとその夫、ダンさんの献身的な介護の中で、 絶えず絶望の中で苦しまれたその試練、そして主のお力によってそれに打ち克たれ、今は霊界にて新たな目覚めをされていることと存じます。 

 先生が奥様とお二人で営まれてきた「アルカナ出版」。金字塔ともいえる「天界の秘義」をはじめとしたラテン語原本からの著作の翻訳。アルカナ通信や友の会を 通じた日本全国にまたがる新教会活動。このアルカナ出版が今後どうなるのか、私達読者で心配しない者は1人もいませんでした。その心配を吹き飛ばすよう に、またもや主のみ摂理とお導きが働きました。先生の次女の峰子さんが、アメリカでの仕事と生活を、夫のダンさん、アメリカで少年期を終えてしまったボブ さん、まだ幼いエリカちゃんとともに日本に帰国し、アルカナ出版の仕事を受け継がれるとともに、奥様と半年にわたる介護を続けられました。峰子さん一家の 不安も、言葉に尽くしがたいものがあると拝察いたします。その困難のなか見事に最後まで看護を続けれら、今後はアルカナ出版をより発展させてゆかれることと思います。私達も、先生と奥様の業績と、峰子さんご一家の覚悟を無駄にせず、より発展させるため、力を惜しむ方はいないことと確信いたします。また、先生が始められた新しい新教会の活動を、日本全国に広げ、根付かせるため、私たちすべてが力を尽くしてゆきたいと思います。 

 先生はこうおしゃっていました。「私は、財産や名誉に惹かれることなく、真理の探究に一生をかけてきたが、不自由もなく、三人の子供たちも育て上げることができた。まさに〈みことば〉にあるとおり、神の導きと思います。」

「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」マタイ6:33

故 長島達也逝去に思う 
Tatsuya Nagashima’s Funeral
フロスト・ダニエル

新教会が他の教会といかにして関われるか

 長島家一族は、カトリック教会と深い関わりがあります。故・長島達也氏はカトリックのイエズス会修道士として修練し、新教会に変わった後も、それは、彼の考えに影響を及ぼしました。マリアについての新教会のあり方を、彼は記事にしたことがあるのを覚えています。基本的に新教会が、マリアについて言及しているのは、スエデンボルグが霊界でマリアに会った一節以外にありません。

 昨年10月のある日、彼に、徳島のカトリック教会の神父の名前と電話番号を探すように頼まれました。それでそうしましたが、なぜそのような頼み事をするのか不思議でなりませんでした。名前と電話番号を書いた紙を渡すと、「必要な時までとっておいて下さい。」と言われました。

 そのすぐ後、彼の実兄総一郎氏が妻を伴い鎌倉から見舞いに来ました。兄と彼は、その指導的能力と、リーダー性がとてもよく似ていますが、兄のほうはもっとリベラルで、押しが強い性格と言ったらよいでしょうか。父親を早くに亡くしたため、第二次世界大戦の荒廃から長島家の姉妹たちを養っていったのですから。また、彼はとても敬虔なカトリック信者で、カトリックに関する本をたくさん出版しています。そして、彼は弟が天国に入るためには、カトリック教徒に戻るべきだと強く考えていました。弟達也との関係も、とても闘争的でした。

 兄夫婦をホテルに送った際、兄はカトリックの神父さんに来てもらって弟達也と話すことを強く要請したので、そうすることを約束しました。

 わたしは徳島のカトリック教会に立ち寄り、神父を長島の家に招待しました。神父は年配のアメリカ人で、彼と同じ東京の上智大学で勉強した人でした。その後神父は1962年にアメリカでの神学校を終えてすぐ日本に来ました。そのほとんどこれまでの人生を四国で暮らしている人です。

 私たちは彼について話し合い、どうしたらよいか考えました。わたしは神父に新教会の教義は最も普遍的であるため、神父が訪問することで、神学的問題は起ることはないと話しました。その結果神父もそのように思ったようです。夕食の後、何をすべきかについて話し合いました。

 彼と神父は感謝祭の後の月曜日に会いました。神父は、同じく上智大を卒業したアルフレッド・ディーガン氏著の「死」についての本を持ってきました。彼は受け取りましたが、読むことはありませんでした。少し話をしたあと、カトリック信徒でなければ天国に入れないという教義について、聞いてみました。それが、彼の実兄の心配の核心だったからです。 

 神父は、他の信仰を持つ人も天国へ行けることは、ほとんど常識になってきていると言いました。神父は「それはイエス様が決めること」という立場でした。「神様のみ手にゆだねましょう。」と言いました。それは真理に近く、良い答えだと思いました。

 彼は、カトリック教会における、最近のマリアに関する教義は何かと聞きました。マリアはモデルとなるキリスト教徒であり、神ではないという応えが、神父から返ってきました。キリストの母親としての役割を受け入れ、イエスの独特な成長や、行動を受け入れたこと。いつも神様の意思に従おうとし、自分の事を考えなかったこと。これは教会への貢献でした。神父は言いました。「昔はマリアの神性が信じられていましたが、今は公式の教義ではありません。去年わたしはフランスのルルドに行きましたが、マリアの巡礼のためではなく、そこにある、プロテスタント系無宗派のチャペルを見るためでした。」わたしにとっても彼にとってもこの答えは満足の行くものでした。

 この後、彼は神父に会うことはありませんでしたが、頭の中では時が近づいたら、神父を呼ぶことを考えていたようです。

 彼が逝く一週間前、危険な状態に陥りました。呼吸が苦しそうで、それは異様な音を立てていました。神父を呼ぶことが頭をよぎりましたが、実行しませんでした。次の日、容態は前日よりよくなり、信じられないほどでした。その夜は、とても頭がはっきりしていて、幸せそうで、感謝に満ち、天使と会話をしているとしか見えない、真に美しい様子でした。

 しかし、危険な状態が近づいていることを考え、死の実際の兆候がどんなものであるのかインターネットで検索して調べてみました。

 それから一週間後、外出先より帰宅直後、純恵夫人から、彼が朝からまだ目覚めていないことを知らされました。二階の部屋に行って、その呼吸の音を聞き、すぐに時は近いことを知りました。 

 わたしは神父に電話をしました。そして、妻の峰子、純恵夫人と、手を握って祈ることにしました。主の祈りをしてから、彼は穏やかな雰囲気になりました。それから、峰子が、父親の好んで使っていた「祈りのてびき」からの祈りをしている間に、彼は静かに息を引きとったのでした。あまりに静かで本当に息を引きとったのかわからないくらいでした。それからしばらくしても、再び息を吹き返すことはありませんでした。

 一時間後、神父が到着しました。どうしたらよいか話し合いました。主治医に電話をしても全くつかまらなかったので、峰子と純恵夫人にとって、神父の助言はとてもありがたいことでした。皮肉なことに、アメリカ人の神父が日本人に、日本では人の死後どのように扱ったらよいかを助言していました。

 神父が去ってから、葬儀について話し合いました。斎場については、以前から決めてあり、問題は、誰が葬儀式の司式を務めるかということでした。新教会の牧師がいれば最高だったでしょう。しかしこのマヘル神父にお願いすることに、誰も違和感はありませんでした。

 神父にそのことを話すと、他の宗派の人からの葬儀を依頼されることに、何ら問題はないと言うことでした。それから、カトリックの葬儀常用辞を用いるよう促されたのですが、そこで、教義が問題となりました。最初に使徒の手紙を読み、それから四福音書という行程でした。そして、パウロの手紙から、イエスが神様の右手に座している箇所が選ばれていました。

 幸運にも、神父は長島氏のリクエストに応え、黙示録から、新しいエルサレムが降りてくる箇所を読むことに同意してくれました。葬儀式次で、この箇所は故人の実兄により、力強く読まれました。

 この三位一体の考え方は、新教会の主の三つの本質という教えとは違います。イエスに祈ることで父に嘆願するというローマカトリック教会の考えは、わたしたちの神学とはまったく異なります。マヘル神父は、このような儀式をしたことはないけれど、初めからすべてを神のみ手に委ねると決めました。

 日本人は一般に、キリスト教をよく知りません。多くは仏教・神道・無宗教の多くの人は、「キリスト教の葬儀はわからない」と、遠ざけているようでした。したがって、教義的なポイントを、人々に説明する必要もありませんでした。日本ではほとんど「あなたは、カトリックですか、プロテスタントですか、モルモンですか」などと聞かれることはありません。ただ、あなたはキリスト教ですか?と聞かれるだけで、その答えはいつも「はい」か「いいえ」で終わります。

 こうして、カトリックと新教会の間の神学的論争は避けられました。最終的な葬儀式次の流れは、純恵夫人が普段アルカナ通信を校正する際の要領で、新教会に不適合な書く箇所はばっさり外して何度も校正されました。

新教会は全ての教会の冠です。

 わたしはその後、新教会の牧師である友人と話をしました。その際この葬儀に関する話に触れ、カトリック教徒が新教会の教義をくみ取るのは、むずかしいことではないと言いました。友人は、スペイン語を話すメキシコ人で、長い間カトリックの信仰を持っていた人に、新教会を理解してもらった話をしました。新教会サマリー105で、スヴェーデンボルイはこの考えを確信しています。わたしはカトリック教義は新教会教義に目覚めつつあると感じています。

  葬儀は12月26日行われました。とてもよい葬儀でした。故人の新教会教義への信心は不動のものでしたが、実兄は、弟がカトリックに戻ったので、天国に行ったと自分なりに納得していたようです。説教の中で、マヘル神父はクリスチャンであることの一般的な意味を話しました。また、愛する家族に囲まれ、平和のうちに死を迎えた彼は幸せであり、それが一番いいと強調しました。故人の孫である息子のボブは、生まれて初めて(最初で最後の)侍者(神父の助手)を務めました。何年も前、故人が若いころずっと、この侍者を務めていました。

わたしは葬儀の中で、故人に向けて、この祈りを捧げました。

「長島達也は、新教会で洗礼を受けたことによって、天界へ行くという強い希望を宣言しました。神なる主よ、どうぞ彼を、天界での永遠なる役立ちができるよう導いてください。」これは、故人が真に待ちこがれていた新教会の究極の目的でした。               2007.1.1   





テキスト ボックス: 徳島での葬儀

 

アルカナ出版の今後の計画と展望

 

 故長島達也は霊界入りに際し、万事身の回りの準備を自分自身で取りまとめていたのですが、実際に霊界へ去っていってしまうと、話し合われずに終わったあまりに多くの課題があるのに動揺しています。わたしたちの目的はあくまでも、アルカナ出版を通して新教会を成長させることです。そのためには、現在ある出版物の販売を始め、友の会の保持、新たな書籍出版を、継続していくことですが、目下一番の課題は、「天界の秘義」の出版です。「天界の秘義第七巻」は、有志の方々による校正が終わり、最終的な校正段階にあります。八巻までは翻訳が完了しておりますが、校正はこれからです。九巻以降の翻訳・出版については、現在、予定はたっておりません。しかし、長い目で見れば、実現は不可能ではありません。半分まで登った山のあと半分をどのように登るか、その方法を探索中です。これは、故人の夢だっただけでなく、新教会の成長を願う全ての人の夢であり、願いだと思います。

 七巻は予定どおり、6月の出版を目標に、最終校正をします。しかし、今のところ故人がフルタイムで翻訳・出版に専念していた時のように、スムーズに物事が運ばれていないのが現状です。全力を尽くしますが、あとは主にお任せします。他の書物などの翻訳・出版は、随時必要に応じて整えて行く所存です。         ダニエル・峰子記