updated:2015/4/15

ラテン語の修得法について(英文)
2 仏教徒キリスト教の来世観の比較
3 臨死体験と死生学の狭間
4 普遍教会的伝道プロジェクト(英文)
5 言語構造から見た日本人論
翻訳者のひとり言 2002年1月-2006年5月
異文化交流ボランティア団体 インタープリターズ
パナリンガ学院の思い出(1976-1992)
翻訳者・霊界入り 12月21日2006年
復活式(12月24日2006年)東京にて
及び葬儀(12月26日2006年)徳島にて
記念式 1月18日2007年・米国ブリンアシンにて
  アルカナ出版発行のスヴェーデンボルイ著ラテン語原典訳は、2015年現在まで、すべて長島達也が訳者、編者、著者になっております。残念ながら、訳者が2006年末霊界入りしてしまったため、今後のラテン語翻訳での出版は未定ですが、とりあえず、小社発行の書籍を安心して読んでいただくために、翻訳者を紹介いたします。
 右には、雑誌などに掲載された小論文、記事をご紹介いたしました。
 以下は、小著『新教会用語集』のあとがきに記したものに、少し手を加えて、ホームページ用の翻訳者紹介にすることといたします。スヴェーデンボルイの著作に遭遇するまでの歴史的背景を述べておきます。
以下の文はすべて、生前翻訳者によって書かれたものです。

 十八世紀の科学者・神学者、エマヌエル・スヴェーデンボルイによって記された書
物が、世界的仏教学者・鈴木大拙によって日本に紹介されてから、今年(
2001
年)でちょうど91年目になります。その著作全般にわたる本格的な研究がなされ

る日を、待望しているのが現状です。


 日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル は、ローマのイエズス
会総長イグナチウス・ロヨラに度重なる書簡を送って、日本人がいかに知的・道徳的

に優れた民族で、キリスト教の受容にふさわしい民族であるかを説いています。当時

のパードレやイルマンの献身的な布教の結果、信徒は飛躍的に増加し、伝道開始後八

十年で、推定百万人以上の受洗者を出したというキリシタン史家の記録もあります。

その後の切支丹禁令と鎖国、それに続く迫害にもめげず、宣教師の教えを三百年近く

守って、明治の初期発見された隠れ切支丹を見ても分かるように、日本人は世界に類

例を見ないほど、キリスト教にたいして、潜在的受容力をもっています。


 わが国が、そののちキリスト教に大きく門戸を開いたのは、明治の文明開化時代

と、昭和の太平洋戦争終結後の時代でし
 た。カトリックとプロテスタント諸派に

よる海外宣教が、再度華々しく登場しました。ただし戦後五十年たった今、自ら宗

教的真理を求めて聖書を開き、真理への情愛をいだいて〈みことば〉を紐解くまで

に、まだ時間がかかるのではないかと思われます。しかしながら現代社会の中で目

撃するように、心の病が次第に表面化してくると、物質至上主義、科学技術万能主

 は、次第に陰を潜めつつあるのも事実です。


 今世紀の後半は、キリスト教にとって、かつてない受難期でした。聖書の高等批評

が客観的という名目で〈みことば〉を科学的検証の下に置き、その神聖性を否定しま

した。牧師、神学者でその影響を受けた者も多く、閉鎖された大学の神学部や神学校

もありました。かつての敬虔な信者たちは、科学万能時代の子供たちといっしょに教

会を離れました。現在欧米の大都市では、由緒ある大聖堂や大伽藍が、礼拝の場所を

失い、観光の名所に化していることは、だれもが知るところです。


 従来エマヌエル・スヴェーデンボルイの名は、キリスト教の世界よりも超能力やオ

カルトの世界で問題にされ、権威ある神学者たちからは、ほとんど無視されてきまし

た。それはスヴェーデンボルイと同時代の哲学者カントが、血気にはやる
40代で記し

た小冊子が、大きく影響しています。ただしカント自身は後年自分の不備を認めたよ

うで、それについての諸論文が、最近学会を賑わしています。


 たとえ批判者がいても、それに劣らず多数の優秀な頭脳が、スヴェーデンボルイの

影響を受けています。十八世紀以降、哲学者、文学者、思想家、詩人、芸術家、科学

者で、陰に陽にその影響を認める者が、少からずいることも確かです。
その影響力は

コンスタントに浸透増大しつつあります。


 その直接、間接の原因は、各国語への翻訳の拡大と、出版物の普及です。スヴェー

デンボルイ著で、最もポピュラーと言える本『天界と地獄』は、現在までに20近い

の言語に翻訳されています。ごく最近、スヴェーデンボルイの著作の翻訳書と出版物

を普及させるため、全世界的に協調しようとの意図から、
SPI (Swedenborg Publishers'

International
)が結成され、わがアルカナ出版もその創設メンバーに加わっています。


 七十年間の鉄の結束を誇ったソビエト共産体制が崩壊し、ロシヤ民族は過去の伝統

的宗教に精神の支えを求め始めていま
 す。かつての国教であったギリシャ正教会の教

義が、スヴェーデンボルイの教えと共通点が多いということで、さる
199411月、国

立科学アカデミーとアルカナ基金共催で、『スヴェーデンボルイとロシアの伝統』と

題した国際会議が開かれ、筆者も発題者の一人として招かれ、「禅仏教の悟りとスヴ

ェーデンボルイの人間再生の過程」を比較した小論文を発表しました。


 アルカナ出版の出版物は、以上のような経緯の中から生まれました。スヴェーデン

ボルイの使用する神学書を一般向きに普及させる試みです。新教会は、従来までのキ

リスト教を継承しつつも、全く新しい視野のもとに、聖書の〈みことば〉を見直しま

す。その見直しは、ルター派の国教会司教を父にもち、客観性を学問の軸とする科学

者スヴェーデンボルイにして、初めて可能だったと思われます。すなわち人間として

の最高度の宗教経験を、科学者の目で、観察記録することでした。


 さて、以上の出版物の編者・著者として、自己紹介に入ります。神道の父を少年期

に失い、太平洋戦争末期にカトリックに入信しました。わたしを信仰に導いたドイツ

人宣教師フランシスコ・マイエル神父から、ラテン語の手ほどきを受けたのは、15

歳のときでした。それ以前から、日曜日を含めて、ほとんど毎日のミサはラテン語で

ささげられ、そのミサ応えを同じくラテン語でするよう訓練されていました。
 


 18歳で上智大学の哲学科に入学しました。カトリック教会の伝統的著作は、ほと

んどすべてラテン語で記されており、ラテン語は第一外国語として必須でした。幸に

も、ヨーロッパ各国から来て教鞭をとっていた優秀なラテン語の専門家の指導を受け

ました。大学2年が終わって、イエズス会に入会しましたが、それに前後して、さら

なるラテン語の徹底教育を受けました。ドイツ人のロス司教、ポーランド系ドイツ人

のチースリク師、イタリヤ人のバルトーリ師、スペイン人のネブレダ師、フランス人

のベジノー師、スイス人のケール師などを思い出します。イエズズ会内部の外国人と

ともなる共同生活ではでは、ラテン語が公用語で、日常生活はラテン語で交わしまし

た。やがて上智大学大学院の哲学研究科修士課程を修了し、在会六年の後正式に退会

しました。カトリックの教義と組織にたいする疑問が解消しなかったのが主な理由です。
 


 それから東京渋谷に語学校を経営するかたわら、プロテスタントは組合的組織の自

由を標榜するバプテスト派に転向し、日本では西南学院大学神学部で三年間学び、牧

師の資格を得、およそ十年近く牧師として東京都とその近辺で働きました。また米国

のマサチュセッツ州ボストン郊外にある超教派のアンドーバーニュートン神学校から

授業料、生活費全額免除の国際学術奨学金を得て、「カトリックとプロテスタントの

対立と和解」を論文のテーマとして、一年留学、STM号を取得しました。同志社大学の

創立者新島襄氏も、この神学校の卒業生でした。学位としては、哲学と神学の分野で、

それぞれ修士号を取得したことになります。
 
 
教義の疑問の解決できないまま、牧師を続けることができず、東京代々木で日本語

教師養成学校を経営していた時代の1981年、始めてスヴェーデンボルイの著作を

手にするチャンスが与えられました。カトリックからプロテスタントに転向した後も、

キリスト教の教義の整合性を執拗に追究した甲斐がありました。スヴェーデンボルイ

の著作に遭遇し、ふたたび人生の転機を迎え、米国ペンシルバニア州に本部をもつジ

ェネラル・チャーチ
General Church of the New Jerusalem を訪問し、洗礼を受け、

日本人では最初の会員になりました。
 

 さて、1983年から現在まで、スヴェーデンボルイのラテン語原典訳(本邦初

訳)に努め、その主要神学的著作の和訳書を、小社アルカナ出版で継続出版してお

ります。現在も原典和訳を続けておりますが、従来までのカトリック、プロテスタン

ト両サイドのキリスト教と、スヴェーデンボルイによる新教会との解釈の相違が、み

ずからの体験で浮き彫りにされ、現在翻訳中の『天界の秘義』など、人類に与えられ

た神よりの贈り物として、できるだけ分かりやすい日本語に翻訳するよう、努めてお

ります。スヴェーデンボルイが記したラテン語の原典は、およそ15000ページあ

りますが、現在まで、その3分の1を和訳できたと思っております。残れる人生で、

あとの10000ページが翻訳できればと願っています。

 スヴェーデンボルイが『真のキリスト教』508に、「Nunc Licet今こそ許されてい

る」という命題が記されています。それは新教会の新教会たる理由を示すもので、み

ずからの理性で〈みことば〉とその教義が理解できることです。そのためには、かつ

てはただ鵜呑みにしただけで、真剣に考えたことがなかった教義が理解できるように

なるとの意味があります。

 将来の日本における新教会を考えるとき、各自がみずからの頭と心で考えて分かる

教義理解を期待したいものです。過去、日本人の宗教心には、「なにごとがおわしま

するか知らねど
 も、有難さに涙こぼるる」のような情緒的信心が根づいていました。

神道、仏教、儒教とも豊富な精神的遺産をもっていますが、不明確な教義では日常迫

られる決断や行動に結び付きません。よく理解吸収できたものだけが、信念として心

の奥深く刻まれ、永続した人生観、世界観に成長し、本人の人格に同化されていきま

す。日本人には、西欧の理性主義、合理性、論理性に馴染まない国民性があります。

特に宗教にかんしては、分かり難いものほど有り難いと思う傾向が見られます。日本

にある諸宗教の共通的特徴は、人物信仰と御利益だと言われ、「理屈はさておいて」

、敬仰の眼でみつめる教祖的人物と、約束された現世での幸福が、人を引き付ける二

本の糸になります。


 ただし日々国際化が進む狭い地球の中で、過去の閉鎖的情緒主義は、人類にあまね

く通用する合理主義に、席を譲らざるを得なくなってきています。同族だけで「感じ

る」宗教ではな
 く、地球人みんなが「分かる」宗教でなくては、人類全体を包摂する

未来の世界宗教に値いしません。筆者が文化交流の一環として長年携わってきた対外

国人の日本語教師養成で思うことですが、かれらは日本人と同じように、肌で感じる

ことは出来ないけれど、合理的説明によれば、相互理解は可能です。理性こそ人類を

結ぶ共通の指標であり、絆です。健全な理性に導かれてこそ、永続的な人類愛が育ま

れ、豊かな人間性が誕生するのではないでしょうか。
日本の将来を、新教会の未来に

託します。

                   2001年11月23日  長島達也

翻訳者紹介

長島達也 1930年8月10日−2006年12月21日