「小泉改革」について

モノローグにあります、「結局は、〈みことば〉による自己改革」と「確固とした人生哲学が必要」(Jan.4)であり、「問題は、・・心・・ではないか。」(March2)については、まさにその通りと思います。しかし、私たちは家族・社会・国家(・教会)を隣人とし、有益な行いを為すため、何が問題で何が今の日本にとって必要かを、常日頃から真剣に考え、取り組むことが国民の義務であると思います。正しい「心」を実現するためには、正しいことを知り、善いことを行わなければならないからです。

やや沈静したというものの、世の中は「小泉内閣」に対して、異常ともいえる熱狂ぶりで迎え、その本質が全く理解されずに過ごされています。「自己の職務を公正に全力で行うこと」を「総理の職務」に適用してみます。私見では、現小泉内閣の行動は、今や国家として破綻しようとしている日本に対して、徹底的に無為無策で、自ら「構造改革」と名づけた「自己愛」を守り続ける、歌舞伎役者の芝居としか思えないのです。常識的には、なんと失礼でおかしなことを言うやつ、と思われるかもしれません。たまたま、文芸春秋4月号に、現役財務官時代「ミスター円」といわれた、慶応大学教授の榊原英資氏が同趣旨の寄稿をしています。それを援用しながら、「小泉改革」の本質の一端を探ってみたいと思います。

○まずは、「構造改革」について
小泉氏は、決して構造改革の定義を明確にしようとしません。なぜならそれは、「十年以上前の中曽根・竹下改革と軌を一つにする体制内改革であり、構造や制度を根本から変えようとするものでない」ものにすぎないからです。また「財政をめぐる意思決定や利権の構造を大きく変更せずに実現できる歳出の効率化を一方で進め、他方、大きな調整は増税や保険料率の引き上げ等の歳入の増加によって行」うことや、「世論の支持を得るために、歳出の効率化に特殊法人改革を組み合わせること」も、中曽根内閣の国鉄・電電公社民営化を思い返していただければ、ほとんど同じものだということがわかります。
しかし異なるのは、「今のところ国鉄・電電公社を民営化し、消費税を創設した」両改革に遠く及んでいない点です。

中曽根・竹下以降、金融・経済・民間の構造問題がやっと意識され、橋本改革では、大蔵省財政・金融分離や日本銀行の独立性確保とともに金融ビックバンを実行することができました。ところが、「小泉改革は自民党内の改革のここ数年来の経済・金融面への拡大を、むしろ押し戻し、十数年以上前の、行財政改革プラス不良債権処理に矮小化」してしまいました。橋本改革は行財政改革を超え、六大改革を構想し、そのうち金融改革を実現したという点で、スタートの時点ではるかに小泉改革を凌駕しているものです。森内閣を支えたのが小泉氏であり、そのブレインは小泉内閣とほとんど変化してないことにも注目すべきです。

○また、不良債権問題に関して
ダイエー処理を機にハードランディングからソフトランディングに変更し、実質的に先送りしている実態に注目しなければなりません。「ハードでもソフトでも着陸できればまだいい。飛行機は着陸もできず、飛行場の上を旋回し、燃料切れで墜落するのを待つ」しかなくなっているのです。

○小泉内閣の政治手法
これは、森内閣との差が現れることろです。小泉氏の類まれな役者的才能は、「常に大衆の前に悪人・敵を作り出し、それと闘っているという姿勢をポーズだけ」とっているという点で世論から高い支持を受けています。紋切り型の抽象的呪文「構造改革なくして成長なし」「構造改革路線は全くゆるがない」と繰り返しますが、その構造改革の定義は明確にせず、繰り返し唱えることで「あたかも実体がともなっているかのような錯覚」を生み出します。勧善懲悪の単純なお芝居と、どこに差があるのでしょう。自民党少数派として、うまく多数派を誘導し、多数派も政策においてあまりかけ離れていないので、苦々しいながらも彼を利用しています。小泉内閣が「守旧派」と呼びながらも、「抵抗勢力は協力勢力」とうそぶいているのは、実は小泉内閣が守旧派そのものであるからです。

以上、小泉改革の実体は、それぞれが確認してゆき、事実を見つめるべきだと思いま
す。

○私見ですが、現在の日本は足と左手が萎え、体が異様に肥満してしまった人物がかろうじて強力な右手で、がけの岩から垂れ下がっている姿をイメージしています。強い右手とは、輸出型産業であり、弱い左手は鈴木議員と全く同じ手法で、旧大蔵通産・農林と官民が黒く癒着して萎えてしまった産業群です。萎えた両足とは、国民の道徳規範であり、荒廃してさらに改悪された教育です。異様に肥満してした体は、700兆円の国家の債務と、減らすことができない民間の不良債権です。

実質のない「小泉改革」で日本は再生の重要なタイミングを逸し、無為な日々を送っています。5−10年後にはそのつけがいやというほどまわってくるかもしれません。この萎えた両足である国民の意識と教育を真剣に建て直し、官民の闇の権力構造を取り払い、シェイプアップするため本当の改革に一刻でも早く着手するべきだと考えます。
松本 士郎





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