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スェーデンボルイの神学書は
信心書である。
それによって人は
悪を避け善を行う。

B6判 475ページ    
定価¥2000

新エルサレム公教会説教集第U巻     

狭い門から
Concentration brings Extension

内容紹介   本書「あとがき」から

 新エルサレム公教会説教集 第一巻『喜びの約束』を読んでくださった方へ、第二巻として、この『狭い門から』をお贈りします。第一巻を読んだ方は、真理への道は、狭い門からであることに、お気づきになったでしょう。主の〈みことば〉を新約聖書から直接読むときも、同じことが感じられます。主は言われます、

 『狭い門から入りなさい。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこから 入って行く人が多い。いのちにいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだ す人は少い』(マタイ7・12)と。

 みんなが歩いていく方向に、いっしょに歩いていくことは、一見「無難」のようですが、  有難(ゆうなん)」であることが教えられています。いわゆる世間の常識にしたがうことは、この世の自己愛、世間愛に従って歩くことです。それは、この世のものがみんな悪であるという意味ではなく、主への愛と隣人への愛に秩序づけられなくてはならないと言う意味です。 主はかつて、律法で何が一番大切かを問われたとき、申命記を引用なさり、『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、主なるあなたの神を愛しなさい』(マタイ2237、申命記6・5)。また、『自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい』(マタイ2239)。しかも、すべてはこの点にかかっていると、言われます(マタイ2240)。 

 キリスト教がキリスト教であるのは、この二点を大切にすることです。モーセにさずけられた旧約の十戒も、最初の三つは、神を愛するための掟、あとの七つは、隣人を愛するための掟でした。そして、神を愛するということは、新教会の教義では、神人である主キリストを愛することです。ここで、以上の二点が一つになります。

 これに賛同なさる方には、新教会の信仰は目の前にあります。結局は、新エルサレム教会と言っても、奇異な教義をおしえている教会ではなく、徹底したキリスト教なのです。スエデンボルグを通して与えられた啓示にしたがって、三位一体ではなく、神であり人である方、天地の創造主・あがない主である主を礼拝し、みずからの理性と意志をつかって、その主の勝利に参加していくこと、再生によって、自分自身のなかに教会と天界を実現させていく以外の何ものでもありません。

 これは安易な道ではありません。絶えざる戦いです。誘惑と試練に引きこまれます。今ある自分の醜さを思い知らされます。ただし、それはごく当りまえのことです。

 神である主キリストが、十字架の上で、人として最高の苦しみを味わわれたのは、世界の人に、何を教えられるためだったでしょう。主のみ国に入るのは、タダもらいだと言う意味ではないことだけは、明かです。

  1989年10月1日                       訳編者  

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